日大三が初優勝! 計り知れない経験値を得て春夏へ=明治神宮大会高校の部総括

松倉雄太

連覇目指した大垣日大は準決勝敗退

 史上初の大会連覇を目指した大垣日大高は準決勝で敗れた。エース・葛西侑也(2年)は存在感十分の投球を見せたが、東海大会で打ちまくった攻撃陣が、全国の好投手相手に奮わなかった。阪口慶三監督は「サインミスがあった」と勝負どころで流れを手放したことを悔しがった。それでも、本気で神宮2連覇を目指して東海大会を勝ち抜いてきた大垣日大高の挑戦は、『甲子園だけが高校野球ではない』ということを全国に教えてくれたようでもあった。

 同じく4強の浦和学院高は1番・ピッチャーの佐藤拓也(1年)が関東大会同様に投打で大活躍。特に初回の第1打席で2試合ともヒットを放った打撃センスには、大学野球関係者も絶賛していた。投球では、関東で威力十分だったスローカーブを日大三高の菅沼に狙い打たれたことが課題として残った。森士監督が「佐藤におんぶに抱っこ」と話すように、投打に渡って佐藤に負担がかかり過ぎている印象も否めない。まだ1年生と経験が少ないだけに、切羽詰まった場面で佐藤の負担を軽減できるバックアップ力がこれから必要となってきそうだ。

『投手力と守り』という印象を残した大会

 今大会注目投手として名に挙がっていた関西高(中国・岡山)の堅田裕太(2年)と金沢高(北信越・石川)の釜田佳直(2年)はともに初戦で敗れた。
 関西高は堅田と水原浩登(2年)の両投手で中国大会無失点優勝。しかし明徳義塾高との1回戦では、堅田が初回に3連打を浴びるなどいきなり3失点。相手打線にうまさはあったが、両投手に対する『絶対の信頼』が、全国の舞台でいきなり崩された形だった。それだけに、先に失点した時に、どう試合を立て直せるかが、この冬場の重要な課題として残った。

 金沢高の釜田は東北高(東北・宮城)戦の初回に150キロを計測してスタンドをわかせた。だが、現状では場内表示を見るまでそこまでのスピードを感じない。釜田自身も北信越大会の時に「数字を追い求めていた時期もあったが、今は違う」と話している。それだけに、150キロという数字だけが釜田を表現する形にならないよう、メディア関係者を含む周りが気を使わないといけないと感じさせられた。

 このほかにも明徳義塾高の尾松義生(2年)、天理高(近畿・奈良)の西口輔(2年)、東北高の上村健人(2年)、北海高の玉熊将一(1年)と各チームのエース格が存在感を見せた。あらためて、『秋から春にかけては投手力と守り』という印象を残した大会だった。

偵察か?経験か?神宮大会の意味とは

 全国で秋季大会を制した10チームしか出られないこの神宮大会。寒い時期ではあるが、5日間で4試合(3試合)を戦う経験値は計り知れないものがある。
 各地の地区大会を取材していると、神宮大会で選抜への偵察にされるといった姑息(こそく)なことを考える指導者はまだ、存在する。甲子園なみに、本気で『秋の日本一』を狙って戦う指導者が増えることを願うばかりだ。優勝投手となった吉永を「投げたくてウズウズしていた」という気持ちを見て小倉監督が決勝の先発に起用したように、試合をする選手は負けたくない一心でやっている。だからこそ、大人がその芽を摘んではいけないと強く要望する。

 昨年決勝で戦った大垣日大高は選抜で4強、東海大相模高は夏の選手権で準優勝という成績を残した。これがこの2チームが神宮大会で得た経験値の答えだ。ことしの10校の中にも、神宮大会の経験値を生かせるチームが出てくると信じたい。

<了>

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著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

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