予期せぬ日本戦の敗北、不透明なアルゼンチンの未来

監督の正式決定を前に……

メッシ(左)は格の違いを見せつけたものの、日本守備陣の前にゴールはならなかった 【Getty Images】

 2011年7月に自国で開催されるコパ・アメリカ(南米選手権)、そして14年のワールドカップ(W杯)・ブラジル大会に向けて監督を選ぶにあたり、アルゼンチンサッカー協会(AFA)が乱気流のただ中にいるのだとしたら、それは予期せぬ敗戦のせいだろう。“セレステ・イ・ブランコ”(水色と白=アルゼンチン代表の愛称)は8日に行われた敵地での日本戦で、0−1とまさかの敗戦を喫した。今月末に迫った監督決定の瞬間を前に、大いなる混乱が起こるかもしれない。

 多くの人は、暫定監督のセルヒオ・バティスタが正式に監督として認められるのが自然な成り行きだと思っていた。選手たち、特に世界最高の選手との呼び声高いリオネル・メッシからの支持を得ているからだ。だが、首脳陣の中にはバティスタ続投に対し、異論の声があったのも事実である。日本戦のアルゼンチンからは不安な要素が垣間見えた。3、4人の監督候補を推薦する役割を担うゼネラル・マネジャー(GM)のカルロス・ビラルドの脳裏には、別の候補者が浮かんだかもしれない。すなわち、アレハンドロ・サベージャ(ポイントリーダーのエストゥディアンテス監督)と、ミゲル・ルッソ(ラシン・クラブ)だ。両者とも80年代にアルゼンチンを率いていたビラルドのもとでプレーしている。

 日本戦に先立ち、バティスタは「かつてのアルゼンチンのスタイルを取り戻さなければならない」と語った。メッシという天才を中心に据え、ボールタッチを多くし、ゆっくりとゴールを目指す。テクニックのある選手の距離間は短く。つまり、スペイン代表のシャビ、イニエスタ、シャビ・アロンソ、セルヒオ・ブスケツのような中盤を構成するということだ。

アイルランド、王者スペインに勝利

 W杯後にバティスタが指揮を執った2つの親善試合で、アルゼンチンは方向性を見いだしたように思われた。アイルランドにはアウエーで1−0で競り勝ち、ブエノスアイレスで行われた王者スペインとの一戦では4−1と完勝した。ボランチにエステバン・カンビアッソ、右サイドバックにはハビエル・サネッティが復帰。パブロ・サバレタといったサイドバックも可能性を感じさせた。

 だが、日本戦を前にサネッティとサバレタが負傷離脱し、ディフェンスラインはいつにも増して不安定だった。GKのセルヒオ・ロメロは日本のゴールシーンを含め、イージーボールをたびたびリバウンドさせた。それがチーム全体に影響し、最後までペースをつかめなかったとも言える。
 中盤ではハビエル・マスチェラーノとカンビアッソが正確性を欠き、エインセとブルディッソのサイドバックコンビの攻撃参加はほとんどなし。メッシはその才能の片りんをたびたび見せたが、ついにゴールはならなかった。アンドレス・ダレッサンドロは機能せず、チームがややリズムをつかんだのはハビエル・パストーレを投入してからのことだ。

 結局、アルゼンチンは0−1で日本に敗れた。監督のバティスタは試合後、「今日の1試合だけで評価されるとは思わない。これまでの試合を見て評価してほしい」とメディアの前で訴えた。

監督決定、そしてブラジルとの決戦

 スペインに大勝した後は国内メディアも代表チームと指揮官を称賛した。だが、日本に敗れた今、バティスタの手腕に疑問符がつけられ始めている。その最たるものは、チームが解決すべき戦術、コンセプトに関するものだ。例えば、スピーディーで高い位置でプレスをかけてくる相手――今回の日本のような――に対し、スローなテンポでボールを支配するアルゼンチンがどのように攻撃をフィニッシュにまでもっていくか。メッシという違いの生み出す選手がドリブルで敵陣へ迫ったとき、そのほかの選手がどのようにサポートするのか。日本戦でもパストーレが入ってからはメッシと絶妙なパートナーシップを組んだが、それまでは“天才”が個人技で攻め込むのみだった。

 11月17日、アルゼンチンはカタール・ドーハという第三国の地でブラジルと親善試合を行う。そこで求められるのは、1つではない。彼らは多くの課題を克服し、コンセプトを修正することを求められる。そして何より、これ以上嵐の中を突き進みたくなければ、宿敵を相手に結果を手にすることが重要だ。

 その一方で、協会の首脳陣たちは考えを精査し、一刻も早くアルゼンチンサッカーのためにプロジェクトを開始すべきである。正式な監督を任命し、ぶれることのない方針を示す必要がある。まさに今回、日本が示したように。埼玉スタジアムでのライバルは、ハードワークを基盤にその可能性を披露し、チームのコンセプトも明確だった。両者の差があの日、ピッチ上でくっきりと表れたのだ。

<了>
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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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