国際大会で日本代表が必要なもの=世界大学野球選手権・総括
悲願の世界一を目指すために始動した榎本体制
世界一を狙った『2年計画』も実らず銅メダルに終わった大学日本代表。3位決定後、榎本監督(右)と斎藤が握手 【島尻譲】
2002年から隔年(偶数年)で始まった世界大学野球選手権大会。5回目を迎えた今大会は初の日本開催であり、第1回大会から参加している日本は悲願である初の世界一を狙っていた。ここで日本は『2年計画』を掲げ、今大会を見据えた代表チームづくりに着手。2008年12月の強化合宿からスタートして、年明けには榎本保監督(近大監督)、應武篤良コーチ(早大監督)、横井人輝コーチ(東海大監督)、古川祐一コーチ(神奈川大監督)の首脳陣就任が正式に決まった。09年7月の日米大学野球に3勝2敗で勝ち越すと、11月にはNPBのU−26選抜との強化試合を経験し、12月は強化合宿を行った。そして、ことし7月上旬に行われた候補合宿で日本代表22名が選出され、7月26日のNPBフレッシュオールスターとの壮行試合を経て、今大会に臨んだのである。
ベストではなくベターな22名
「別に僕はウチ(近大)から3選手も入れる必要はないと思っていた。正直、個人的に他リーグ、他校から代表入りさせたい選手もいたんです。だけど、外野手登録している長谷川(雄一/近大4年)なんかは、いざとなれば捕手もできますし」と榎本監督が語るような要素も踏まえたメンバー選考であったと理解すべきであり、『2年計画』を根底から否定すべきではない。
「神宮のセンターポールに日の丸を掲げられなかったのは僕の責任。選手は良くやってくれたし、本当に感謝している。だから、もっとまとまっての練習や合宿がしたかった」
いろいろな苦悩と戦った榎本監督の言葉には金メダルに届かなかった無念さを感じさせた。