戦い続ける英雄に喝采を――=アンリはMLSにも足跡を刻む

小宮良之

「何かを勝ち取るために」米国へ

移籍会見に臨んだアンリは、トレードマークの「14」のユニホームも手に笑顔 【Photo:ロイター/アフロ】

「アメリカには何かを勝ち取るためにやってきた。気持ちは高ぶっている。発表は控えていたが、南アフリカ・ワールドカップ(W杯)の数カ月前から『わたしの戦う場所はニューヨークだ』と楽しみにしてきたからね」
 ティエリ・アンリはMLS(米メジャーリーグサッカー)のニューヨーク・レッドブルズ入団に際し、高らかにその意思を語った。契約は2014年まで、バルセロナとの契約は11年まで残っていたが、円満交渉で移籍金ゼロの契約が成立。同日、123試合に出場し51得点、1998年W杯・フランス大会と00年ユーロ(欧州選手権)の優勝という記録を残したフランス代表からの引退も口にしている。トレードマークである14番のユニホームを両手に浮かべた笑顔には、相変わらずの上品さと一抹の寂しさが漂った。

“ティティ”の愛称で親しまれてきたアンリは、ユース時代にフランスサッカー学院で英才教育を受け、17歳でプロデビューを果たす。得点力のあるサイドアタッカーとしてモナコで頭角を現し、「フランスを背負う逸材」と期待された。ユベントスでのセリエA挑戦は失敗に終わったものの、その後はプレミアリーグのアーセナルでアーセン・ベンゲル監督により、サイドFWからセンターFWにコンバートされ、一気に才能の花を咲かせた。
 アンリの真骨頂は、左サイドに流れたときである。右足のあらゆる部分を使ってしなやかにボールを操り、対面するDFを翻弄(ほんろう)し、得点機を演出。相手が縦のスペースを警戒すれば、瞬時に切り返して正確無比なシュートをファーサイドに巻いて放り込む。また、中を切られれば外からえぐり、味方のゴールを華麗にアシストした。プレミアでは8シーズンにわたりプレーし、2度のリーグ制覇、4度の得点王を獲得している。

クラブで不振、代表でも“卑怯者”のレッテル

 華々しいキャリアをひっさげ、30歳でスペインのFCバルセロナに入団したわけだが、新天地において彼のキャリアは斜陽を迎えることになる。縦に速い攻撃を信条とするプレミアリーグとめくるめくパスゲームから敵陣を崩すリーガエスパニョーラ、そのスタイルの違いにアンリは戸惑った。1年目は30試合に出場して12得点と平凡な成績に終わり、チームも無冠。2年目はジョゼップ・グアルディオラ新監督が信奉した攻撃サッカーの一翼を担い、30試合19得点と気を吐いたが、3年目は故障にも悩まされ、21試合4得点と不振に終わった。
「アンリの年俸は15億円。さっさとお払い箱にして、有望な選手を獲得した方が得策だ」と地元メディアは書き立て、MLS移籍は自然の流れだった。

 ラストシーズンは、代表選手としてもケチがついている。W杯・南アフリカ大会の欧州予選、プレーオフのアイルランド戦では自身のハンドが決勝点を呼び込み、“卑怯者”のレッテルを貼られることになった。W杯・ドイツ大会決勝で敗れた雪辱を期す覚悟だったが、フランス代表は大会前からレイモン・ドメネク監督と選手間でのあつれきがささやかれ、空中分解寸前。大会が開幕すると、主力選手が強制送還命令を受け、選手側が練習をボイコットするなどの汚点を残し、グループリーグで敗退した。
 アンリはウルグアイ戦、南アフリカ戦の2試合に出場したが、交代出場ではなんのインパクトも残せなかった。一つの時代が終わりを告げた。その事実はもはや紛れもない。同年代のFWでは、ロナウド、ラウル、ルート・ファン・ニステルローイ、ダビド・トレゼゲら栄光を彩った者たちも、“晩年”を迎えつつある。
 アンリはまだ32歳だが、10代からトップリーグで戦ってきただけに体力的消耗は激しかった。イングランドからスペインにリーグをまたいだ精神的消耗がそこに拍車をかけた。さらに、“ハンドでW杯”というそしりは、クリーンなイメージのある彼には耐えられない屈辱だったはずだ。そして南アフリカで味わった無力感……。MLSに移籍した彼がトップリーグに返り咲くことは、もうあり得ないのかもしれない。

サッカー不毛の地で宣教師の役割も

 しかし、英雄はどれだけ老いて衰えても、ピッチに立てば何かの輝きを放つものだ。米国でも、その輝きは多くの人々を幸福にするだろう。
「ニューヨークに初タイトルをもたらしたい。バルセロナでの最後のシーズンはひざの故障で苦労した。だからこそ、モチベーションも高いよ。MLSはこれからのリーグで、ここで自分の足跡を刻みたいと思っている」
 そう語る彼の目は意欲的だった。元来、有名な米国好きで「ニューヨークが一番好きな都市」と公言してきたアンリは、ハリウッドにあこがれを持ち、熱狂的なNBAのファンでもある。今回の移籍は趣味も兼ねた一挙両得ともいえ、“都落”と決め付けるべきではない。
「フットボールを広める宣教師になるのでは」と各国紙がアンリの移籍を捉えているように、彼の優雅なプレーはサッカー不毛の地で“布教活動“に一役買うことになるだろう。

 だが、聖人のようなアンリも代表選手としての引き際に悔いが残っているのかもしれない。W杯・南アフリカ大会のグループリーグ・コートジボワール戦でブラジルのルイス・ファビアーノがハンドとも思えるプレーで得点したことを持ち出し、「彼のゴールについて、世間は何も言わないよね。面白いもんだ。僕はアイルランド国民全員に謝ったんだけど、許してはもらえなかった」
 1997年10月の代表デビュー戦、相手は南アフリカで2−1の勝利。2010年6月、ラストゲームの南アフリカ戦は1−2の敗北だった。それは何かの因縁なのか。 歴史に名を残す選手も、一つや二つ人間的な過ちがあるものだ。それは人間としての価値を全部否定するわけではない。何よりも、大歓声を背に左サイドを疾走したアンリの残影は、人々の記憶に残るだろう。
 いま一度、戦い続ける英雄に大きな喝采(かっさい)を――。

<了>
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著者プロフィール

1972年、横浜市生まれ。2001年からバルセロナに渡り、スポーツライターとして活躍。トリノ五輪、ドイツW杯などを取材後、06年から日本に拠点を移し、人物ノンフィクション中心の執筆活動を展開する。主な著書に『RUN』(ダイヤモンド社)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)、『名将への挑戦状』(東邦出版)、『ロスタイムに奇跡を』(角川書店)などがある。

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