モリーニョの新たなる挑戦=レアル・マドリーでインテルの再現なるか

インテルに植えつけた“現実主義”

バルセロナのアシスタントコーチ時代のモリーニョ(左)。10−11シーズンは監督としてレアル・マドリーを率いることになる 【Photo:VI Images/アフロ】

 わずか47歳にして世界のサッカー界の頂点にたどり着いたモリーニョは、インテルを一段階上のクラブに押し上げた。ロベルト・マンチーニ(現マンチェスター・シティ監督)時代も国内では無敵の存在だったが、欧州の舞台ではどうしても結果を残すことができず、内弁慶と言われていたのだ。昨シーズンはCL決勝トーナメント1回戦敗退と、変わりばえしなかった。だが、モリーニョ体制2年目の今季、イタリア人のほとんどいないメンバーで、完ぺきな“イタリアのチーム”を作り上げた。主だった地元選手はベテランのマルコ・マテラッティとマリオ・バロテッリくらいで、両者共に控え選手である。

 モリーニョがチームに植えつけた“現実主義”は賞賛に値する。目指すは勝利のみ、そのためには手段を選ばなかった。まずは最終ラインのトライアングルを強化。現在、世界最高の守護神の1人と言えるブラジル人GKのジュリオ・セーザルに、安定感抜群のセンターバックコンビ、ルシオとワルテル・サムエルが守備を固める。中盤にはエステバン・カンビアッソとチアゴ・モッタというフィジカルの強靭(きょうじん)な2人がおり、トップ下にはヨーロッパ随一のMFウェスレイ・スナイデルが君臨。そして前線は、チャンスメークにも優れる決定力のあるアタッカー、サミュエル・エトーとディエゴ・ミリートが控える。そして、必要とあれば、彼ら全員が守備に徹することができるのだ。

 カンプ・ノウで行われたCL準決勝第2戦、バルセロナとの一戦では、前半に退場者を出したとはいえ、そのあまりに守備的な戦いぶりに一部から批判を受けたのは事実だ。だが、その一方で、レアル・マドリーの幹部たちにはある共感をもって受け止められたに違いない。どんな形であれ、メッシを筆頭にそうそうたるタレントを擁するバルセロナを打ち破ったインテルを作り上げたのは、紛れもなくモリーニョだ。しかも、ライバルがホームでビッグイヤー(CL優勝トロフィー)を掲げるのを阻止してくれたのである。この試合が、レアル・マドリーのモリーニョ招へいという決断を後押ししたのは間違いないだろう。

堅実サッカーはレアル・マドリーでも通用するか

 今のモリーニョに失うものは何もない。ポルトガル人指揮官のビッグマウスに歯止めがかかることもないだろう。「レアル・マドリーのクラブ史は知っているが、そのフィロソフィーは知らない」と、早くも毒舌全開である。これほどパーフェクトな“定義”はないだろう。“エル・ブランコ”(レアル・マドリー)の首脳陣へ多大なる皮肉を込めた言葉だからだ。

 果たして、モリーニョは銀河系軍団を率いてどのようなサッカーを展開するつもりだろうか。バルセロナからトロフィーを奪い返すことだけを最優先し、ベルナベウでおなじみの派手なゴールショーを捨て、インテルのような堅実なサッカーを徹底するのか。果たして、ファンは無冠から脱出できるのであれば、スペクタクルなしのサッカーにも耐えられるだろうか?

 その答えは、さほど遠くないところにある。こうしたシチュエーションは既に経験済みだからだ。06−07シーズン、イタリア人監督のファビオ・カペッロ(現イングランド代表監督)が10年ぶりにレアル・マドリーを率い、リーガ・エスパニョーラ優勝を再び成し遂げた。しかし、カペッロは結果とは裏腹に、シーズン終了とともに1年で解任されたのだ。首脳陣の説明は、ファンは勝つだけではなく、エレガントなプレーを望んでいるというものだった。そうして、後任にはベルント・シュスターが就いた。

 その後はほぼ1年おきに指揮官が代わり、09−10シーズンはチリ人監督のペジェグリーニの下で、チームは変化を遂げたように思われた。主力選手の入れ替えがあったため、チームの連係はまだ不十分ながら、伝統のスペクタクルな試合が復活したのだ。しかし、それでも会長のペレスには不十分だったようだ。
 モリーニョは来季、平穏無事に職務を実行することができるだろうか。“スペシャル・ワン”として、インテルで見せたような3冠(リーグ、カップ戦、CL)をスペインでも成し遂げられられるか。バルセロナがいる限り、簡単ではないだろう。それより前に、ポルトガル人指揮官の口が、災いとならなければいいのだが。

<了>

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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