松井大輔、29歳の初挑戦を語る=ジンクスを破り、歴史を変えるために

宇都宮徹壱

帰国直後のインタビューで松井は晴れやかな表情を見せ、W杯に向けた思いを語ってくれた 【宇都宮徹壱】

 松井大輔が初めてワールドカップ(W杯)を意識したのは、1994年の米国大会だった。ブラジルとイタリアによる決勝戦、最後にPKを大きく外してしまったロベルト・バッジョの悲しげな背中を、当時中学1年生だった松井少年は鮮烈に覚えている。当時、選出された関西選抜では、ユニホームがイタリアと同じデザインだった。この偶然に、少年は何かしら期するものを感じていたのかもしれない。その後、少年は名門・鹿児島実業高校の主力として高校選手権で脚光を浴び、京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)でJリーガーとなり、アテネ五輪には10番を背負って出場し、さらにはフランスに渡ってル・マンでは「太陽」と呼ばれる活躍を見せるまでになった。しかし、それでも少年時代に夢見たW杯にだけは縁がなかった。ようやくその夢がかなう瞬間が訪れたのは、米国大会から16年後の誕生日前日のこと。吉報の翌日、少年は29歳になっていた。

 アスリートにとって、とりわけフットボーラーにとって年齢とは、実にデリケートな問題である。ゆえに4年の重みは、われわれ凡人の非ではない。2006年のW杯では、最後まで当落線上に踏みとどまりながら落選の悲哀に遭った松井にとり、この4年の重みは決して一言では語りつくせぬものがあったはずだ。もし25歳でW杯を経験していたならば、おそらく当人のキャリアは大きく変わっていたことだろう。それでも松井は、失意から立ち直るとすぐさま4年後にまっすぐ視線を据えながら、必死でフランスのピッチを駆けめぐってきた。一方、日本代表では、イビチャ・オシム、そして岡田武史と指揮官が変わり、チームの目指すサッカーも変質する中で、なかなかスタメンに定着できない現実に、不安と焦燥を募らせることもあっただろう。

 そんな中、ようやく29歳にして初めてつかんだW杯出場のチャンス。苦しみ抜いた末に得た今回の僥倖(ぎょうこう)を、松井自身はどのようにとらえているのだろうか。帰国して間もない当人は、さながらつき物が落ちたかのようなすがすがしい表情で、これまでの4年と本大会に向けての覚悟を語り始めた。(取材日:5月13日 インタビュアー:宇都宮徹壱)

一番脂がのっている時期にW杯を迎えられる

――このたびはおめでとうございます。まずは率直な感想を

 率直にうれしいです。4年前のこともあるので、ほっと一息という感じですね。

――発表時はフランスにいたわけですが、どういう形で知りましたか?

 一応テレビでやっていたので。ネットがつながれば日本のテレビが見られるので、それで岡田監督が読み上げているのを見ていました。

――MFでは、松井さんの名前が最後でしたね

 だからドキドキしていました(笑)。4年前もそうだったけど、やっぱり緊張するというか、嫌なものですね。

――あらためて、この4年間を振り返ってみてどうでしょうか?

 スタメンになったりサブになったり、代表でもいろんなことがあったので、入るかどうか分からないときもありましたね。ただ今季は(フランス・リーグアンで)コンスタントに試合に出ていたので、それが一番良かったのではないかと。

――チーム状態は、今季(グルノーブル)も昨シーズン(サンテティエンヌ)も良くなかったですよね? 何が今日まで松井さんを支えていたんでしょうか?

 W杯もありますが、もともとポジティブな方なので。チーム的にはすごく大変なシーズンになりましたが、自分の体のコンディションだったり、W杯に向けて調子を上げていくという意味では、いいチームでプレーできたと思います。

――29歳で初めてのW杯となるわけですが、その点についてはいかがでしょう?

 フィジカル的なところと経験的なところで、一番いい状態で迎えられると思います。自分の体をいつも鏡でチェックしているんですが、細すぎず、筋肉もついているし、一番脂がのっている時期にW杯を迎えられるのは良かったと思います。

「ベスト4」という目標設定は悪くない

左MFでの起用が予想される松井には、積極的な仕掛けからのチャンスメークが求められる 【Getty Images】

――発表から3日が経って、ようやく周りを落ち着いて見られるようになったと思います。あらためて、今回の23名についてどんな感想をお持ちでしょうか? ファンの間では川口(能活)や矢野(貴章)の選出を驚く声も聞かれますが

 みんな今まで選ばれた選手たちですから、サプライズはないですね。能活さんも前は入っていたわけですから驚きもないし、貴章もオシムさんのときから呼ばれているから。

――左の中盤ということで、ライバルは大久保(嘉人)、玉田(圭司)になります。ご自身のアピールポイントについてはどうお考えですか?

 攻撃面では、1対1とか、個人で抜いていくことで、どれだけチャンスを作れるか。それと守備のときも、いかに攻守の切り替えを早くできるか。それに僕、守備もそんなに嫌いじゃないですから。

――今年に入ってからの代表は、東アジア選手権で不本意な成績に終わって、岡田監督解任を望む声もあったことはご存じだと思います。遠くから見ていて、どうお感じになりましたか?

 監督がいなかったらW杯に出られなかったかもしれないし、これまでやってきたのも監督のおかげだから。それに、選手も結果を出せないというのがあったわけで、監督だけじゃなくて、もっと選手に批判があってもいいんじゃないかと思いましたね。

――その後、バーレーン戦では松井さんも出場されて2−0で快勝しましたが、続くセルビア戦で0−3と大敗。この時は海外組は招集されなかったわけですが、松井さんは結果を知ってどんなことを感じました?

 ホームで3失点というのはね。ブラジルやアルゼンチンのような強豪相手なら分かるけど、僕としてはちょっと悔しいというか。チームメートに元セルビア代表(リュボヤ)がいるんで、普通に「日本、弱いな」と言われるのが一番きつかったですね。まあ「W杯で見ていろよ」と言い返しましたけど。勝ち負けについてはホント、向こうの人間ははっきり言いますからね。ストレートに「ダメだな、お前のチーム」って(笑)。

――その意味で、岡田さんが掲げる「ベスト4」という目標については、どうお考えですか? ヨーロッパでこんなことを言ったら、鼻で笑われるだけかと思いますが

 夢というか目標を掲げることについては、すごくいいと思います。それにベスト4に行けたら、すごくいいし。そこに「行きたい」という気持ちがあるからこそ、そのためにどうするかを考えるわけじゃないですか。目標がグループリーグ突破だったら、そこで終わってしまう。だから目標を高く掲げるのは大事なことだと僕は思いますね。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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