川口能活、追い込まれるほど力を見せる不屈の守護神
日本代表にとって最高の「サプライズ」
負傷による離脱が続いていたため、その選出は驚きとともに報じられた川口。その豊富な経験が日本代表にとって大きな力となるはず 【Photo:Getty Images】
その瞬間、前回の巻誠一郎(千葉)の発表時と同様、会見場にはどよめきが起こった。川口能活の選出は、今回最大のサプライズ。2009年9月に右足頸骨(けいこつ)骨折(全治6カ月)という大ケガを負い、そこから8カ月間公式戦に出場していない選手が23人の中に入ることに違和感を覚えた人も多いだろう。しかし、しばらく時間が経ち、第3GKという特殊な立場について考えると、この決断がきわめて妥当なものに思えてくる。
想像してみてほしい。楢崎正剛(名古屋)と川島永嗣(川崎F)にトラブルが発生して、第3GKが急きょワールドカップ(W杯)のピッチに立たなければならなくなった時のことを。そんな緊急事態でも、オタオタすることなく自分の力を普通に発揮できるほど大舞台や修羅場の経験が豊富なGKは誰か。しかも、ほかの2人に負けない実力を持ち、ハートもとびきり強く、ほかのフィールドプレーヤーから見ても頼もしい男は誰なのか。そう考えると、該当するのは1人しかいないだろう。
もちろん、岡田武史監督が「第3GKという難しいポジションで、彼のリーダーシップと、選手からも一目置かれている存在が、大会を戦う上でどうしても必要だと考えた」と語った部分、試合に出なくてもチームの力になれるという点も、彼ならでは。中村俊輔や中澤佑二(ともに横浜FM)をはじめとした多くの選手が、川口の選出を喜ぶコメントを出していることも、その存在感の大きさを証明している。
それもこれも、彼がこれまで歩んできた長く起伏に富んだ道のりがあったからこそだ。
ばく進したスター街道
この優勝により一気に日本中の注目を浴び、高校を卒業した1994年、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に加入。その時点では、日本代表GK・松永成立の存在が絶大で、1年目は出場がなかったが、2年目の95年には早くもソラリ監督に大抜てきされて、初出場で完封勝利。そこで一気に松永から定位置を奪うと、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)とのJリーグチャンピオンシップも制し、チーム初のJリーグ制覇に大きく貢献した。
96年には不動の守護神としてアトランタ五輪に出場し、ブラジル戦ではスーパーセーブを連発して“マイアミの奇跡”を演出。当時から、乗ったときの川口は神がかり的な働きを見せるというイメージを作り上げてきた。
翌97年2月のスウェーデン戦で日本代表デビューを果たし、そのまま代表守護神の座をつかんで、“ジョホールバルの歓喜”により日本初のW杯出場を決めた。
ここまでを短く振り返ると、まさに順風満帆。GKとしては異例に早いスピードでスター街道を突き進んできたことが分かる。プレースタイルとしても、相手FWの足下に何の迷いも恐れもなく飛び込んでいくアグレッシブな姿勢、最後尾からの気迫あふれるコーチングなど、闘争心の強さが大きな持ち味。
「プロになってから何度も顔を蹴られているけど、恐いと思ったことはない」という勇気や熱さを持ち、甘いマスクとのギャップも、国民的人気を集めるポイントになった。