川口能活、追い込まれるほど力を見せる不屈の守護神
海外移籍と不遇の時代
01年には、横浜FMからイングランドのポーツマスへ移籍。日本のGKとしては初の海外移籍を果たした。だが、コミュニケーションの問題などから出場機会になかなか恵まれず、代表でも楢崎にポジションを奪われることが多くなった。02年の日韓W杯にもメンバー入りしたが、出場機会がないまま大会が終了。この時は、彼自身にもベンチからチームに貢献するという余裕はあまりなく、親しい人には出場できない悔しさを爆発させたこともあったという。
この時期が、川口にとってはもっとも不遇の年月だったが、彼自身は「海外で成功するまで日本には帰らない」という意志が強く、03年にはデンマークのノアシェランに移籍。しかし、ここでも出場機会には恵まれなかった。それでも、04年に中国で行われたAFCアジアカップでは全6試合に出場し、日本に向けられた激しいブーイングの中でゴールを守り抜いて連覇に貢献。ここでもPK戦などで神懸かり的セーブを見せ、クラブでの出場は少なくとも実力を維持していることを示した。
そして04年冬にジュビロ磐田への移籍を決断して、ついに帰国。それまでGKが泣きどころだった磐田に最後尾の安定感をもたらし、代表でも正GKの座をつかんでドイツW杯の出場権獲得にも大きな働きを見せた。
06年のドイツW杯では全3試合に出場。クロアチア戦ではPKを止めるなど、どの試合でもビッグセーブを見せたが、チームは1分2敗でグループリーグ敗退。川口自身のW杯初勝利は、3回目の参加でも果たせなかった。
日本のために、チームのために
それでも川口は希望を失うことなくわずかな可能性に懸けて、彼らしくストイックにリハビリに励んできた。その努力もあって順調な回復を見せ、今年の鹿児島キャンプの時点では、ピッチ上でフィジカル中心のトレーニングができるようになっていた。コメントでも常に前向きの言葉を口にし、本人のもくろみよりも時間はかかったが、一歩一歩着実に歩を進めて10年4月25日の練習試合で、ついに実戦復帰を果たした。
ヤマザキナビスコカップ予選リーグでの公式戦復帰を目指していた中、南アフリカW杯の日本代表メンバー発表前日の9日夜、岡田監督からの電話を受けたという。
「力を貸してほしい」。その場で即答するのは躊躇(ちゅうちょ)したが、妻の「行ってきなよ」という声に背中を押されて、3時間後に「日本のために、監督のために頑張ります」と岡田監督に強い決意を伝えた。
10日の緊急会見でも、「チームの雰囲気を感じ取っていろいろな選手に話しかけ、みんなが同じ方向を向けるようにしたい。経験をみんなに伝えていきたい」と、岡田監督の期待に応えるような言葉を口にした川口。さまざまな経験を経て4回目のW杯に挑むことになった今回は、02年のときとは違う立場と意識でチームに貢献できる境地に達している。
もちろん、「多くの選手がW杯を目指して戦っている中で、自分が選ばれた責任がある。その責任を全うして本大会にはベストな状態で臨めるように準備していきたい」と、試合出場に向けても意欲十分。残り1カ月で試合勘を整え、正GK争いにも彼らしく最後まであきらめることなく挑んでいくことだろう。
<了>
Yoshikatsu KAWAGUCHI [ジュビロ磐田] GK
1975年8月15日生 180cm/77kg
・前所属チーム:清水商高−横浜F・マリノス−ポーツマス/イングランド−ノアシェラン/デンマーク
・Jリーグ初出場:1995/04/26 1995Jリーグサントリーシリーズ 第11節 横浜M(vs柏@国立)
提供:ISM