山形を悩ませる「雪のリスク」=Jリーグ秋春制移行問題を考える:第2回

宇都宮徹壱

全国にオンエアされた「雪の日の開幕戦」

昨年の雪の開幕戦で運営を取り仕切ったスポーツ山形21の佐々木さん。「あらゆる状況を予想して、すべてに対応できたと思います」 【宇都宮徹壱】

 トップリーグ2年目を迎えたモンテディオ山形のホーム開幕戦は第3節、3月21日にNDソフトスタジアム山形で開催された。どこよりもホームゲームが遅れたのは、言うまでもなく降雪のリスクをできるだけ回避するためである。グアム、長崎、そして宮崎で春季キャンプを張ったチームは、そのままアウエー(湘南ベルマーレ)での開幕戦に臨み、小雪がちらつく本拠地で練習をして、再びアウエーで清水エスパルスとの第2節を戦っている。2試合を終えて1分け1敗の最下位。雪国クラブゆえのハンディをもろにかぶった格好だ。

 この日、山形がホームに迎えるのは、あの浦和レッズ。スタジアム周辺は「歓迎! 浦和レッドダイヤモンズ」のサインをいたるところで目にしたが、その一方で関係者が気にしていたのが当日の天候である。山形のホームページには、雪が降ることを想定して「路面凍結の恐れがあるため、車で参戦の方はタイヤチェーンの準備をお忘れなく」とのアウエーサポーター向けの告知を出していた。この日、大阪では気温が20度を超えて桜が開花したそうだが、山形の平均気温は3.7度。さすがに雪にこそならなかったが、試合前から冷たい小雨が降り続いていた。

 思えば昨年、山形のホーム開幕が行なわれた3月14日(第2節、対名古屋グランパス戦)は、現地は雪であった。オレンジ色のボールを必死で選手が追いかける雪中戦の光景は、NHK総合で全国にオンエアされ、多くのサッカーファンに少なからぬ衝撃を与えた。
 おりしもサッカー界では、シーズン秋春制移行の是非についての議論が再び沸騰していた時期である。Jリーグ将来構想委員会の「時期尚早」という結論に対して、JFA(日本サッカー協会)の犬飼基昭会長は「議論が不十分」として、専門のワーキングチームで検討を続ける考えを表明。ところがその4日後のJリーグで、雪の試合の過酷さが全国的に知れ渡ることとなったのだから、この議論に影響を与えないわけがなかった。この山形での開幕戦は間違いなく、シーズン移行問題のターニングポイントとも言える“事件”であったと見てよいだろう。

 というわけで、シリーズ「Jリーグ秋春制移行問題を考える」第2回は、昨年の山形での雪の開幕戦にスポットを当てるべく、クラブがある山形県天童市を訪れることとなった。今回の取材で私が特に重視したのは「ピッチの外側」についてである。雪が激しさを増したとき、運営サイドはどのような動きを見せていたのか。そしてゴール裏のサポーターは、どんな思いでゲームを見つめていたのか。そんなわけで、これまであまり語られることのなかった、ピッチ外での人々の証言を拾い集めてみることにしたい。

試合続行を後押ししたもの

 まずは運営側の言葉に耳を傾けてみよう。取材に応じてくれたのは、スポーツ山形21の運営グループマネージャー、佐々木賢二さん、そして運営グループ、舟山留美子さん。舟山さんは地元山形の出身だが、佐々木さんは宮城の出身。「こっちは除雪機のテレビCMがあるのを見てびっくりしましたね。あと、誰もが長靴を持っているのも新鮮な驚きでした」と、地元と山形との雪に対する認識の違いに驚いたという。さっそく、昨年の開幕戦の思い出について語ってもらった。

「雪の可能性は、前日の天気予報である程度は認識していたので、オレンジ色の試合球を7個、それから雪かき道具を準備しておきました。キックオフの時(16時)は、あまり大したことはない感じだったんですが、前半が終わるくらいになるころには『ちょっとまずいかな』と思うようになって。とりあえず、ハーフタイムでラインが見えるように雪かきができるよう準備を始めていました」(佐々木さん)

「ホームのサポーターのみなさんは、あの程度の雪は慣れていると思うんです。むしろアウエーのみなさんの方が、雪に慣れていないだけに心配でしたね。実際、寒さが原因で医務室に運ばれた方もいらっしゃいましたから」(舟山さん)

 ここで留意すべきことは、このホーム開幕戦が山形にとって、J1クラブとしての初めてのホームゲームであったことである。当然、観客数も倍増するし、メディアの注目度も違ってくる。それだけにクラブ関係者の間には、これまでにない緊張感がみなぎっていた。そこに、いきなりの雪である。雪の試合はJ2時代にも経験済みだったが、さすがにこの日ばかりは、運営サイドに課せられたプレッシャーは尋常ではなかったはずだ。ハーフタイム中のピッチ外の動きについて、佐々木さんはこう振り返る。

「まず、この雪がいつまで続くのか、それからプレーの続行は可能か、ラインは見えるようにできるか。それらについて、マッチコミッショナーと両チームの実行委員が話し合った結果、『試合続行で問題なし』という結論になりました。また、後半からはオレンジの試合球を使用することも確認しました。ただこういう場合、マッチコミッショナーの方の『雪のリスク』に対する認識というものが、少なからず影響するとは思いましたね」

 その後も雪は激しさを増し、視界はどんどん悪くなっていく。主審の判定も困難になるし、選手が負傷するリスクも増えるし、試合後の観客のアクセスにも不安が募る。それでも「最後まで試合をやらせたい」というのは現場サイドの総意であったようだ。そんな彼らの背中を押したのは、やはりJ1としての最初のホームゲームであったこと、そして試合が全国中継されていたこと。この2点が大きかったのは間違いないだろう。

 結局、試合は0−0の引き分け。幸い、試合終了後も大きな混乱はなく、記念すべきホームでの開幕戦は、当事者にとって生涯忘れえぬものとなった。「あらゆる状況を予想して、すべてに対応できたと思います」(佐々木さん)という言葉からも、この経験で得た自信が、試合結果以上に大きなものとなったことがうかがえる。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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