日本、決勝で米国に敗れるも史上初の銀メダル!=アイススレッジホッケー

荒木美晴/MA SPORTS

堂々の銀メダルを獲得、笑顔を見せる日本代表メンバーとスタッフ 【Photo:吉村もと】

 バンクーバー冬季パラリンピック第9日の20日(日本時間21日)、当地のUBCアリーナでアイススレッジホッケーの決勝戦が行われ、日本は米国に0−2で敗れ2位となった。準決勝で優勝候補のカナダを破り、初めて決勝に進出した日本。勢いそのままに金メダル獲得が期待されたが、惜しくもあと一歩届かなかった。
 ほぼ満員となった会場には、米国の国旗を上回るたくさんの日の丸が揺れた。選手は、「悔しい」と涙を見せるも、「ホッケーの本場で行われた決勝の大舞台でプレーしたことを誇りに思う」と口をそろえた。

守りに課題、最後は精神力の差

パラ初出場ながら圧倒的なスピードで存在感を見せた伊藤仙孝 【Photo:吉村もと】

 序盤から米国ペースで試合は展開した。相手ゴールに攻め込むタイミングがつかめない日本は、第1、第3ピリオドにペナルティによるキラープレー中に2失点。苦しい場面で、どう守るかに課題が残った。
 試合終盤には粘りをみせ、猛攻をしかけるも、得点には至らなかった。日本のプレー自体は悪くなかったが「やっぱり初の決勝戦で、みんな緊張していた」と司令塔の高橋和廣(FW)は振り返った。

 一方の米国には、予選と同じように100パーセントの力で臨める強いハートがあった。ペナルティをおかして相手にチャンスを与えても、日本よりも早いスピードとフォアチェックで、確実にゴールを守りきった。その精神力の強さが、順位の差になってあらわれた。

 結果は完封負け。あと一歩のところに見えていた「金メダル」は、今回は手にすることが出来なかった。表彰式では、選手の目からは大粒の涙がこぼれていた。「悔しさ」と、ここまでのぼりつめた「誇り」。その両方が、入り混じった涙だった。

 試合が終わった後、ドレッシングルームに戻った選手は、中北浩仁監督の首に一人一人の銀メダルをかけたという。中北監督は、「もう、大泣きしました」と感激したようす。メダルが期待されながら惨敗した前回のトリノ大会後に、チームは崩壊。そこから、一つ一つを積み上げてきた。「トリノで辞めなくてよかった」と監督や選手の言葉に実感がこもる。

 青木栄広アシスタントコーチは、「本当にいいチーム。想像をはるかに超えて、みんな戦ってくれた」と話し、また今大会直前に主将に決まった遠藤隆行(DF)について、「最後まで、本当によくタカ(遠藤)がチームをまとめてくれた」と大役をねぎらった。

ソチに向けて、選手層の拡大が急務

各国から厳しいマークに合った上原は、試合後「金メダルがほしかった」と涙を流した 【Photo:吉村もと】

 実は出場した8か国中、選手の平均年齢が36歳ともっとも高かったのが日本。今後の進退については明言を避けるものの、今大会後、多くの選手が代表として一線を退く可能性がある。それだけに、新しい選手の獲得と育成は、スレッジホッケー界の最大の課題だ。

 この決勝戦の模様は、歴史的快挙として日本でも急遽(きゅうきょ)テレビで生中継された。これは障害者スポーツ界全体としても、異例の扱いであり、関心の高さをうかがわせた。「これを見た人が、少しでも競技に関心を持ってもらえたら」と関係者の期待は高まっている。

“本命”カナダはまさかの4位、パラ初出場国が躍進

 今大会の一番の話題は、何と言っても金メダルナンバー1候補・地元カナダがメダルなしに終わったことだろう。準決勝では日本に、さらに3位決定戦ではノルウェーに敗れた。カギとなったのは、「絶対的な自信の裏にある、わずかな油断」を両国が突いたことだろう。Jeff SNYDER監督は「こういうことが起こり得るのがホッケーだ」と言いつつも、失望の色は隠せない。一方、パラリンピック初出場のチェコが5位、韓国が6位と健闘した大会でもあった。
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著者プロフィール

1998年の長野パラリンピック観戦を機に、パラスポーツの取材を開始。より多くの人に魅力を伝えるべく、国内外の大会に足を運び、スポーツ雑誌やWebサイトに寄稿している。パラリンピックはシドニー大会から東京大会まで、夏季・冬季をあわせて11大会を取材。パラスポーツの報道を専門に行う一般社団法人MA SPORTSの代表を務める。

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