全米に衝撃を与えた“イチロー元年”=ICHIRO Decade 2001
Decade 2001
01年4月2日、デビュー戦の第1打席でバットを構えるイチロー。メジャー10年物語のすべてはここから始まった 【Photo:ロイター/アフロ】
米メディアも当時、それなりに注目したが、多くは、選手イチローというより、日本メディアのドタバタを冷やかし気味に報じたもの。そこには明確な温度差があった。
そもそものズレは、「通用するのか?」。そんなところに端を発していたといえよう。
霧がかり、実像と虚像が錯綜(さくそう)。日本人初のポジションプレイヤーにあてがう物差しはなく、答えは見えなかった。
元シアトル・タイムズ紙のマリナーズ番記者、ボブ・シャーウィンが当時を述懐している。
「監督のルー・ピネラにこっそり聞いたことがあるんだ。どのくらいの数字を残せると思うかって。そうしたら、『打率2割9分、10本塁打、50〜60打点、40盗塁ならいいほうだ』って答えたんだ。彼の顔には、『本当は30本ホームランが打てる選手を補強して欲しかったのに』って書いてあったよ」
ただ逆に、イチローに対する評価が難しく、低い見積もりがあったからこそ、開幕直後からのセンセーショナルな活躍が際立ったのかもしれない。
記録的なテレビ視聴率
4月、マリナーズ戦を中継するFOXスポーツは、13.6ポイント(当時、1ポイントは1万5000世帯に相当)という記録的な平均視聴率をたたき出した。もちろん、4月の20勝5敗という好スタートが数字を押し上げたわけだが、その理由に「イチロー」の名をはばかることなく、誰もが口にしている。
5月になると、毎試合のようにチケットの完売が続き、テレビ視聴率がさらに上昇。平均で16ポイントを超えるようになり、5月16日のホワイトソックス戦では、19.6ポイントを記録したと当時の資料にある。
5月18日付けのシアトル・タイムズ紙も、「野球ファンは、イチローを見たくて仕方がない」との見出しで、それを報じていた。
同日時点でイチローは、球団記録まであと1試合に迫る23試合連続安打を放っており、春先のインパクトを飽きさせぬ活躍。残念ながら記録は、19日のヤンキース戦で途切れたものの、イチローは記録と記憶の両方で、シアトルのファンをとりこにした。
ちなみに、2009年度の平均視聴率は、前年度と比べて25%アップしたとはいえ、5.20ポイント。これでもメジャーでは平均より上。トップのレッドソックスは9.46ポイント。1ポイントあたりの世帯数が違うので単純比較はできないが、いずれにしても、試合によっては20ポイント近い数字をはじき出した01年の突出ぶりが際立つ。
イチロー効果でチームは首位独走
イチローが初回、塁に出る。そして、生還する。5月28日時点で、マリナーズは49試合を消化。イチローはそのうち14回先頭打者として出塁し、12回先制のホームを踏んでいる。その12試合でマリナーズは12勝0敗。
チームの成功はイチローの出塁と見事に比例。チームが6月に入っても安定した戦いを続けられたのは、イチローにも乱れがなかったからか。6月の打率は一番低くて3割4分8厘、高くて3割6分6厘。おおよそ3割5分台で推移しており、全くムラがなかった。
6月を終え、マリナーズは2位のエンゼルスとアスレチックスに20ゲーム差をつけてトップ。春のキャンプではイチローの活躍を疑っていたピネラ監督も上機嫌で、こんなジョークさえ飛ばした。
「ディブルに、日焼け対策をするんだな、と伝えておけ」
ディブルとは、かつてレッズでクローザーを務めたロブ・ディブルのことだが、彼は4月、ESPNのラジオで「イチローが首位打者になったら、裸でニューヨークのタイムズ・スクエアを走ってやる」と宣言。「そのときは、お尻に51番のタトゥを入れる」とも言ったが、そのことに対してピネラ監督は、そろそろ準備をしておけ、と言ったのである。
果たして、シーズンが終わると、ディブルは実際に寒空の下、5分ほどタイムズ・スクエアを走っている。Tバックのような水着を着け、左側の尻には、「イチロー、五十一」と書かれてあった。