個人惨敗の成瀬、団体戦へ前を向く=クロスカントリー男子

高野祐太

39位に「お話にならない」とぶ然

 クロスカントリースキーの男子パシュート30キロに出場した成瀬野生(岐阜日野自動車)は、トップから6分59秒7遅れの1時間22分11秒1で39位に終わった。最初に出場した得意種目の男子15キロフリーで49位に沈んでいた分をややばん回した形になったが、報道陣に対した成瀬は、ぶ然とした表情で「前半に離されてしまったので、まったくレースにならなかった」と吐き捨てた。世界と対等に戦える「10位台、あるいは1けた台」の順位を求めた高い意識では「お話にならない。(この程度では)どれも一緒」と言う結果だった。金メダルは、最後の1周(3.75キロ)で15秒2差を逆転したマーカス・ヘルナー(スウェーデン)が、1時間15分11秒4で獲得した。

 世界との差に危機感を抱いた成瀬だが、次につながるチャレンジと内容はあった。
 ビブス44番のスタート位置はシード選手と比べて明らかな不利があったが、あくまで苦手のクラシカルで上位をうかがえる「20位前後のキープを頭に入れて」滑った。1.3キロのチェックポイントではトップと11秒2差の46位だったのが、1周目で6秒1差の24位に浮上。
「でも、いい位置を取っても、そこからの維持ができなかった。予想以上のすごいハイペースで、どうしても後ろスタートだとリズムがつかめず、出ただけで終わってしまった」
 その言葉通り、5.1キロでは54位に後退。それでも、以後はペースをつかみ、前半を43分54秒7の51位で通過。後半のフリーに入る。
 その時点で、会場の電光掲示板に順位が載らないほどトップとの差は広がっていたが、得意の走法で順位を上げていく。恐らく、このあたりが走力アップの表れなのだが、「なんせ遅れた中での争いなので。その中で粘れたのはいいことですが、結局そのレベルなので残念です」と、表情を崩すことはなかった。

惨敗したトリノ五輪で芽生えた強い意識

 早大3年で経験した前回のトリノ五輪では、「何も分からないまま出場して」悔しい思いをした。自分の力で勝ち取った切符だと思っていたが、それはバンクーバーへの期待値を込めた選出だったと知る。そして惨敗(15キロクラシカル42位、パシュート59位)。バンクーバーでは違う姿を見せる必要があった。
 バンクーバーイヤーを社会人3年目で迎え、昨年10月に話していた決意は「長い積み重ねの中で世界と戦いたい気持ちがあって、自分の中でもう一度やるぞと思っていました」。そして、この日も「メダルを目指してやってきたのは学生のころと違った。みんなと肩を並べて4年間練習してきたのは良かった。それが自分の楽しみというか、そういうところに達したところはありました」。
 そのような強い意識の芽生えの中で、昨シーズンに足掛かりとなる結果を出す。シーズン最終盤の3月下旬のワールドカップで男子パシュート20キロ18位。30位以内に与えられるワールドカップポイントを獲得した。自身2度目の30位以内で、10位台は初めてだった。主力選手がそろそろフェードアウトする時期ではあったが、収穫は大きかった。
「ポイントを目標にして来て、やっと取れたことと、10番台に入れたのはうれしかった。ワールドカップの日本男子の枠が、ポイントを取ったことで1つ増えて3つにできたこともチームにとって良かった」

結果を出すために増やした練習量

 この結果は、練習量を増やしたことが大きな要因となった。年間練習時間は、筋力トレーニングを除いて、一昨季の600時間から昨季は660時間へ。「僕は筋トレの時間は別に計算するんですよね」と言うように、合計ではもっと多いことになる。
 週によって量をこなしたり、スピード練習を入れたりもした。そのせいで疲労が蓄積し、シーズン当初は調子を落とす。ノルディックスキー世界選手権の代表からも外れて悔しい思いをした。
「国内で一から地道に走りの追求をしました。国体で優勝してきっかけをつかめて。2月、3月にはワールドカップに出られて」
 疲労が癒えてコンディションが良くなると、量をこなした成果が現れ出した。「僕はまだ長い距離に対応できるキャパが足りないと思っていて、パシュートでもいつもの30キロでなく、20キロだったことも良かったんです。でも、強豪選手と渡り合えた。肩を並べてやれるんだと分かったので、今季に入る上で気持ちも違います。そんな確信があります」とは、昨年10月に話していた手応えだ。

衰えない世界と戦おうという意欲

 北欧を中心とするヨーロッパ勢が文化的に成熟した環境にあるクロスカントリースキーにおいて、日本人が上位進出するのは容易ではない。それでも、世界と戦おうという意欲をみなぎらせ、39位(64人出場)に笑顔ひとつ見せなかった成瀬には、未来が開けるはず。まずは、2日後のチームスプリントだ。個人スプリントクラシカルで17位と準々決勝敗退した、スプリンターの恩田祐一(栄光ゼミナール)はことさらリベンジを期しているはずで、「どうにか僕の力を合わせて、いいものを取りたい」。167センチとクロカン選手としてかなり小柄な25歳が前を向いた。
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント