Sリーグ経由でアジア進出する2人の日本人選手=アルビレックス新潟シンガポール社長コラム 第3回

是永大輔

Sリーグで活躍し、道を切り開いた足立原。10月末にインドネシアのボンタンFCへ移籍した 【是永大輔】

 いきなり超個人的に言わせてもらえれば、今、アジアサッカーがアツい。昨今、AFC(アジアサッカー連盟)主導により各国リーグが整備されつつあり、それに伴って競技レベルも上昇している。その急先鋒となっているのが、日本ではまだほとんど知られていないが、10月11日に開幕したインドネシアスーパーリーグだ。

表舞台を歩くことができなかった足立原

 足立原健二というプロサッカー選手がいる。現在25歳。2009年シーズンからアルビレックス新潟シンガポールでプレーしており、16得点を挙げた。Sリーグ(シンガポールプロサッカーリーグ)得点ランキング3位タイ(29節時点)につける、ポジショニングに優れた俊敏なストライカーだ。彼はこの10月、Sリーグのシーズン中でありながらインドネシアスーパーリーグの門をたたいた。

 幼少からサッカーを始めた足立原は習志野高校へ進学した。高校2年生のとき、本田裕一郎監督と行動を共にし、流通経済大学柏高校へ転校。卒業後は流通経済大学へと進学した。FW、あるいは右サイドのMFとしてスピードを生かした突破が長所の選手だったが、どのカテゴリーでも主力中の主力だったわけではなく、常時出場を果たしていたわけでもない。どちらかと言えば表舞台を歩くことができなかった選手の1人だった。

 足立原は大学を卒業してもプレーヤーとしてのサッカー人生を断念しなかった。つてを頼って所属したビアンコーネ福島で2007年度東北2部リーグ南の得点王に輝いた。自信をつけた足立原は、アルビレックス新潟シンガポールとJAPANサッカーカレッジの合同トライアルに挑戦。そこで見初められて北信越リーグの雄、JAPANサッカーカレッジへと移籍を果たしたのだが、それでも常時スタメン出場を果たしていたわけではなく、出場すれば仕事をするという「仕事人」的な役割を与えられ、やはり影の存在が続いた。

 足立原はこう回想する。
「2008年は体力的に厳しくて練習についていくのが精いっぱいでした。やっぱり(東北2部リーグですごした)1年間のブランクは大きかったです。けれど、体力を戻すことができたのが今になってみれば良かったと思います」

 迎えたアルビレックス新潟シンガポール入団初年度。敗れたものの開幕戦で見せた強烈な右足ボレーシュートはリーグ関係者に大きな衝撃を与えた。「あのルーキーは誰だ?」と。その後も点取り屋らしい絶妙なポジショニングと繊細で強烈なミドルシュートを武器に順調に得点を重ね、一時は得点ランキングのトップに肉薄した。
 普段の物静かな表情とは異なり、ピッチ上ではほおを紅潮させながら相手選手や審判にも食ってかかる。警告を受けることも多々あったが、そのたびにゴールという結果で周囲に応え、彼がインドネシアに旅立った後に行われたSリーグアウォーズでは、ベスト11にも選出された。

 シーズン終了を目前に控えた10月末、足立原はインドネシアリーグ、ボンタンFCへの移籍を決断した。移籍したボンタンの町は、足立原が評するところ「(7月にリーグ戦で行った)ブルネイより何もないです」だそうだ。インターネット上での航空写真を見るだけでも、彼の言うとおりあ然とするほど閑散としており、少し離れると町へはジャングルのような迫力満点の緑色が押し寄せていた。

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著者プロフィール

1977年生まれ。日本大学芸術学部卒。IT企業に入社後、モバイルを中心としたサッカービジネスに携わり、日本最大の有料サッカーメディアを作る。サッカージャーナリストとして日本代表および海外サッカークラブの試合を取材しながら世界各地を周った。一方でFCバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッド、リバプールといった海外クラブとのビジネスも立ち上げた。アルビレックス新潟シンガポールチェアマン兼CEO。シンガポールサッカー協会理事。アルビレックス新潟バルセロナプレジデント。個人ブログ(http://www.korenaga.ws)、Twitter ID(_kore_)

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