「雑草集団」JR九州が初優勝=第36回社会人野球日本選手権大会総括

島尻譲

猛練習でつかみ取った悲願の日本一

7度目の出場で日本選手権初優勝を遂げたJR九州 【島尻譲】

「全国制覇へひた走る」という応援団の切実な声が大会7度目の出場で遂に実現した。
 今夏の都市対抗出場を逃し、今大会に懸けていたJR九州は初戦となるNTT西日本戦を3対2、続く富士重工戦も3対2。準々決勝の大和高田クラブ戦に4対3とサヨナラ勝ちを収めると、準決勝の日産自動車戦は延長13回の末(大会規定により延長11回より一死満塁からの攻撃となるタイブレーク制)に6対2と、常に競り合いであった。
 決勝の相手となった都市対抗覇者・Honda戦も接戦となった。3回裏、Hondaに先制を許すが、直後の4回表に追い付く。6回裏、Hondaが1点を加えるものの、再び直後の7回表に同点として準決勝と同様、延長戦に突入(決勝はタイブレーク制導入なし)。そして、延長11回表に1死から新人・中田一機のショート内野安打をきっかけに2死二塁のチャンスをつくる。
「打撃には自信がないが、足には自信がある。ボテボテの内野安打でもいいから、とにかく半端なスイングだけはしないように」と意を決して打席に入った代走から途中出場の新人・田中允信の一振りは詰まりながらもセンター前に落ちて、JR九州が待望の勝ち越し点を挙げた。
「打球が落ちたところは塁審と重なって見えなかったが、点が入って、二塁上(本塁送球間に進塁)で泣きそうでした」
 13回裏、Hondaは2番・川戸洋平、3番、長野久義、4番・西郷泰之と好打順であったが、この虎の子の1点を6回途中からロングリリーフの濱野雅慎(大会最優秀選手獲得)が危なげなく3人で片付け、JR九州が悲願の全国大会初優勝を成し遂げた。
「ウチのメンバー表を見れば分かってもらえると思いますが、甲子園や神宮のスター選手という人材はいません。ただ、厳しい練習はどこにも負けない。ウチの練習に参加した1億円もらっているプロ選手が“情けない。今度はJR九州の練習に付いて行けるようになりたい”と、言うくらいですから」
 就任7年目の吉田博之監督は“体力なくして技術は身に付かない”をモットーに、選手たちを徹底的に鍛え上げた。また、「今の景気で野球を続けさせてもらえることに感謝」と、グラウンドの芝を選手たち自身で育て、バッティングゲージも使わなくなった水道管やガス管を譲り受けて選手たちが手作りしている。
「野球人としてだけでなく、社会人として自分に負けない人間をつくる」
 吉田監督の指導が全国制覇という一つの形になったと言えるだろう。

野球部50年の歴史に幕を閉じた日産自動車

準決勝で敗退し、野球部50年の歴史に幕を閉じた日産自動車。写真はネクストバッターズサークルで試合終了となったベテラン小山 【島尻譲】

「私たちは分刻み、秒刻み、一球刻みで生き延びている」
 久保恭久監督の言葉通り、今季限りで活動休止が決まっている日産自動車は粘り強く、ベスト4まで勝ち上がった。
 初戦は都市対抗準決勝で惜敗した大会3連覇を目指すトヨタ自動車との対戦。9回裏にワイルドピッチで同点とすると、代打・南貴之のセンター前ヒットにより4対3とサヨナラ逆転勝ち。2回戦は今季JABA大会3制覇のパナソニックに5対3と競り勝った。準々決勝の日本通運戦では4点リードの終盤に2点を奪われて、からくも逃げ切った。
 準決勝のJR九州戦は9回を終えて、1対1で延長戦へ。タイブレークに突入した11回表に1点を取られたが、押し出し四球で食らい付いた。が、4点を追い掛ける13回裏、主将・吉浦貴志の打球は痛烈なゴロも遊撃手・田中マルシオ敬三のグラブに収まり、セカンドへ転送されて試合終了……。日産自動車野球部50年の歴史に幕を閉じた。
「ここまで(準決勝)来たら、もう1日、生き長らえたかった。勝って泣きたかった」
 試合後、久保監督はそう話し始めると、
「私たちの胸のブルーバード(右胸部分)はダイヤモンド旗(大会優勝旗)には届きませんでしたが、応援してくれた会社の方々、ファンの方々にスポーツとしての素晴らしさを刻め込めたはずでしょう」
 堪え切れなくなった涙で声を震わせて、球場を去って行った。

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著者プロフィール

 1973年生まれ。東京都出身。立教高−関西学院大。高校、大学では野球部に所属した。卒業後、サラリーマン、野球評論家・金村義明氏のマネージャーを経て、スポーツライターに転身。また、「J SPORTS」の全日本大学野球選手権の解説を務め、著書に『ベースボールアゲイン』(長崎出版)がある。

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