世界No.1リベロの津雲、“職人”佐野ら、世界に誇る名レシーバー&名リベロを紹介
不動のリベロとして新生全日本の守備陣を支える佐野。海外リーグでのプレー経験も持つ 【スポーツナビ】
このレシーブ専門のポジションの「リベロ」が正式に導入されたのは、1998年の世界選手権のこと。サーブ、スパイク、ブロックに参加はできないが、低身長の選手でも活躍できるよう新設された。もちろんこのポジションが設置される以前も全日本には、世界に誇る数々の名レシーバーが誕生してきた。今回は、広瀬美代子から佐野優子まで、名レシーバー、名リベロを年代別に紹介していきたい。
“世界一の名レシーバー”と称された広瀬
広瀬は高校卒業後の77年、ユニチカに入社し、2年後の79年に全日本入りを果たす。身長170センチと小柄ながら、強豪ユニチカで仕込まれた「どんな球をも果敢に拾いにいくファイトスタイル」で、81年のワールドカップではレギュラーの座を獲得。日本の準優勝に貢献し、レシーブ賞とベスト6に選出された。その職人業は、“世界一の名レシーバー”とも称され、今なおバレーファンの間では伝説となっている。
80年代後半から90年代前半にかけて、アタッカーではあったが、守備力で高く評価されたのが佐藤伊知子。
佐藤は、東北福祉大時代の85年にユニバーシアードで優勝し、全日本に選出。身長169センチながら、持ち前の跳躍力とパワーでレフトのエースとして活躍した。88年のソウル五輪で全日本女子は、初めてメダルを逃す結果(4位)となったものの、佐藤のレシーバーとしての能力は光るものがあった。続く、92年のバルセロナ五輪ではけがのためレギュラーとして出場できなかったが、主将としてチームをけん引。93年に現役を引退し、現在は東北福祉大バレー部監督として指導する傍ら、日本バレーボール協会女子強化委員として活動している。
リベロの導入 第1号の津雲
全日本女子の「リベロ第1号」として活躍した津雲 【Photo:権藤和也/アフロスポーツ】
成田郁久美(旧姓大縣)も津雲同様、レフトポジションのアタッカーからリベロに転向した。96年の20歳のとき、アトランタ五輪に当時の全日本最年少メンバーとして選出。その2年後には、国際バレーボール連盟より世界ベスト6、アジアバレーボール連盟より、アジアベストプレーヤーに選ばれた。25歳で一時引退したが、2003年に現役復帰。レシーバーとしての才能が買われ、翌年のアテネ五輪の最終予選からは「リベロ」として全日本に復帰し、本大会出場に大きく貢献した。
一世風靡したかおる姫〜世界に誇る佐野
アテネ五輪後の全日本で一躍脚光を浴びた菅山。現在はビーチバレーで活躍中 【Photo:Atsushi Tomura/アフロスポーツ】
現代表でリベロとしての不動の地位を築いているのが、佐野優子。身長158センチの佐野にとって、身長の低い選手でも活躍できるリベロは、まさに天から与えられたポジションといえるだろう。
02年に全日本に初選出され、同年の世界選手権で活躍。その後は移籍問題もあったが、03年のワールドカップに出場、日本の5位入賞に貢献した。しかし、04年のアテネ五輪最終予選の直前に、成田にそのポジションを奪われ、本大会でも代表入りを果たせず。悔し涙をのんだ佐野は、その年の5月、さらなる高みを目指すために、フランスリーグのRCカンヌへ移籍。「拾ってつなぐ」プレーは、フランスで「驚異的なレシーブ力」と高く評価された。そして、リーグ2年目には欧州チャンピオンズリーグでベストリベロ賞を獲得。07年に全日本に復帰し、昨年は悲願の五輪代表として日本の5位入賞に貢献した。誰もが認めるそのレシーブ力で今大会も活躍が期待される。
<了>
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