欧州サッカー界の移籍、外国人選手枠の未来=「ダニエルG」のサッカー法律講座
ボスマン判決後にリバプールからレアル・マドリーへ自由移籍を果たしたマクマナマン 【Getty Images】
つい先日も、チェルシーが2007年にランスからガエル・カクタを獲得した際、同選手にランスとの契約を破棄するよう誘導する違反があったとして、FIFA(国際サッカー連盟)が10年1月と夏の移籍期間中に選手獲得を禁じる事態にまで発展したばかりだ(その後、スポーツ仲裁裁判所=CAS=が処分を一時凍結すると発表)。
今回のコラムでは、欧州におけるサッカー選手の移籍の自由化について、さまざまな判例とUEFA(欧州サッカー連盟)、FIFA、イングランド・プレミアリーグのルールや規制を通して分かりやすく紹介していく。
ボスマン判決と移籍の自由化
第39条は労働者の移動の自由を保障するものだが、そこにはサッカー選手の移動も含まれる。ただし、この第39条が適用されるのはEU加盟国でプレーする選手においてのみ。よって、日本でプレーするヨーロッパ国籍の選手が日本のサッカールールに異議申し立てをする場合は適用されない。
サッカーコメンテーターの多くが欧州サッカー史上で最も意義のある判決だとするのが、先に述べた「ボスマン判決(Bosman ruling)」である。これは、ベルギーのリエージュ所属(当時)のサッカー選手、ジャン=マルク・ボスマンにまつわる判決だ。
ボスマンとリエージュとの契約は1990年に満期となったが、彼を獲得しようとしたクラブ(ダンケルク)が十分な移籍金をオファーしなかったという理由で、リエージュはボスマンを手放すことを拒否。結果的に、彼の移籍は認められなかった。だが、ボスマンはリエージュ、次いでUEFAを相手取り、選手の移籍の自由を求めて裁判を起こした。
このボスマンにまつわるストーリーが重要視されるのは、95年(ボスマンが訴えを起こしてから5年後)に欧州司法裁判所が以下の2点にわたる判決を下したことが理由である。
1)欧州サッカー選手(「EU圏内のサッカー選手」あるいは「EU圏外でありながら、EUとの合意が成立している欧州の国々の選手」。以下同義)は、自分の所属クラブとの契約満了に伴い、その後は自分の希望する欧州の別のクラブへ自由に移籍することが認められ、所属クラブが当該選手の登録を主張することは違法である。
2)欧州内の試合において、チームの外国人選手の定員(外国人枠)が3人までとされるのは違法である。
すなわち、ボスマン判決により従来の移籍および外国人枠の問題が第39条に違反することが明確になったわけだ。その結果、ボスマンをはじめ多くの欧州サッカー選手に契約満期にともなう移籍の自由化が認められた。
ボスマン判決後の主な自由移籍の例には、ソル・キャンベルのトッテナムから宿敵アーセナルへの移籍(01年)、スティーブ・マクマナマンのリバプールから強豪レアル・マドリーへの移籍などがある。マクマナマンがレアル・マドリーに移籍する1年前の98年夏には、バルセロナがマクマナマンに対して1200万ポンド(約28億4000万円/当時)の獲得金を積んだとされるが、移籍は不成立に終わった。そして1年も経たないうちに、マクマナマンのレアル・マドリーへの自由移籍が成立。大金を逃したリバプールは、さぞ悔しかったことだろう。
ボスマン判決は、現在の欧州サッカーにおいても以下の点で重大な意味がある。
1)欧州サッカー選手は自分の契約の満期にともない、欧州における別のクラブならどことでも契約を交わすことができる。
2)FIFAやUEFAは、国籍を理由として選手を差別し、外国人枠を設定することはできない(これは上記の通り第39条違反となる)。