サッカー元日本代表・前園真聖インタビュー「生涯現役アスリート」

辛仁夏

ランニングを続けるコツ

ホノルルマラソンに3年連続でトライした前園氏。今年の夏は、オフロード版トライアスロン「XTERRA」にチャレンジ。写真はホノルルマラソン出場時のもの 【写真提供/サニーサイドアップ】

――引退後の生活ではさまざまなことにチャレンジしている前園さんですが、オフロード版トライアスロン「2009 XTERRA(エクステラ)ジャパン丸沼大会」にも挑戦するようですね。

 そうですね。トライアスロンに取り組んでいる流れで、大会出場を決めました。基本的にはトライアスロンと一緒ですが、バイク(自転車)がロード用ではなくマウンテンバイクに変わるんです。道なき道を行ったり、バイクを担いで山を登ったりします。普段、人が入れない山や川という保護地域でやるので景色がいいです。
 この間、そのトレーニングで相模湖に行ってきましたが、そのまま転がってしまいそうな山の斜面を走るので、けがは付き物という印象でしたね。

――大丈夫ですか?

 ちょっと分からないですね(笑)。そのときのトレーニングでは、思い切り擦りむいてきました。ヘルメットはしていますが、あとは普通の格好でやりますし。技術的なことはまだ教えてもらっていません。自分でとりあえずやってみてからですね。
 トライアスロンもXTERRAも、ホノルルマラソン挑戦をきっかけに始めたランニングからつながっています。引退してからもサッカーはやっていますが、サッカー以外でも体を常に動かしていないと自分のライフスタイルのリズムが狂ってきますね。

――前園さんはすごくアクティブな方ですね。

 XTERRAに出るのは、トライアスロン仲間が誘ってくれたからです。大会の会場は標高1000メートルを越す場所でやるので、みなさんは体の調整のために何日か前に現地に入りますが、僕は前日に入ります(苦笑)。自分では適応力がある方だと思っていますが、何とかやってみようかと。

ランニングを楽しむコツは、「マイペース」と「楽しむ」こと 【スポーツナビ】

――サッカーとは別のスポーツに取り組む前園さんですが、ご自分の筋肉が瞬発系には適しているけれども持続系の長距離には適していないとおっしゃっていますね。

 トレーナーの方には瞬発系の筋肉だと言われています。だから、僕は長い距離を走ると毎回足がつるんです。それに実は、長い距離を走るのが現役の時から大嫌いだったんです(笑)。だけど、やるんです。嫌いだと思うことにでも、打ち込んでやっていないと何か駄目なんです。

――毎回足をつりながらもマラソンやトライアスロンなどに取り組むのは、これらのスポーツに魅せられているからだと思います。ランニングの魅力や楽しさは何ですか?

 普段、ランニングで公園などを走ると本当に気持ちがいいです。人間、体を動かして汗をかくと終わった後の充実感がすごくあるし、食事もおいしく感じます。別に速く走る必要もないし、歩いてもいいし、また走り始めてもいいし。僕もそんなに無理をしてやっているわけではなく、自分のペースでやれることがランニングの楽しさかなと思います。
 また仲間と一緒に走るのも楽しいです。たとえば、ホノルルなどいろんなマラソン大会に出場すると、新しい仲間ができたり、人脈が広がったりするので、そういうのがマラソンの一つの楽しみかなと思いますね。

――マラソンでもトライアスロンでも専門のコーチについていないようですが、それはどうしてですか? 一般の方でもコーチにつかなくてもできると思いますか?

 ランニングという「走ること」自体は子供のころから身近にあると思うので、ある程度のことは自分でいろんな情報を得てこつこつとやれば走れると思うし、誰でもできると思っています。専門の走り方というのはあると思いますが、今から走り方のフォーム改造をするのは難しいですし。マラソンは歩いてもいいし、ずっと走る必要もない。最初から「42.195キロ走らないと」と思ったら難しく感じるかもしれないけれど、こつこつ自分のペースで取り組んで走れば、マラソンにつながると思いますね。
 あとは、仕事が忙しい中でも、みんなに少しずつでも走って欲しいです。体を動かすことで食事がおいしくなり、健康的な体力のベースを作れる。女性にとっては肌にもいいかもしれませんね。ランニングにはいろんな要素があると思うので、マラソン挑戦だけを目標に考えずに取り組めば、自然と生活の一部になっていくのではないかと思います。

<了>


<前園真聖プロフィール>

1973年10月29日、鹿児島県生まれ。元サッカー日本代表。高校サッカーの強豪・鹿児島実高卒業後、Jリーグ・横浜フリューゲルスに入団。早くからチームの中心選手として力を発揮する。五輪とA代表の2つの代表メンバーにも選ばれ、キャプテンを務めた五輪代表では、28年ぶりの本大会(96年アトランタ五輪)出場に貢献。本大会では、優勝候補のブラジルを破る大金星を挙げた。その後、ブラジルのサントスFCやヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)など国内外のチームでプレー。2005年5月に引退を表明し、現在はテレビなどでの解説者やサッカースクール活動に携わるなど、競技の普及振興のため、積極的に活動している。

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著者プロフィール

 東京生まれの横浜育ち。1991年大学卒業後、東京新聞運動部に所属。スポーツ記者として取材活動を始める。テニス、フィギュアスケート、サッカーなどのオリンピック種目からニュースポーツまで幅広く取材。大学時代は初心者ながら体育会テニス部でプレー。2000年秋から1年間、韓国に語学留学。帰国後、フリーランス記者として活動の場を開拓中も、営業力がいまひとつ? 韓国語を使う仕事も始めようと思案の今日この頃。各競技の世界選手権、アジア大会など海外にも足を運ぶ。

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