“らしさ”が見られなかった菊池雄星の夏=タジケンの甲子園リポート2009

田尻賢誉

チームメートも感じた異変

菊池は甲子園で154キロを計時するなど、今夏で一番注目された 【写真は共同】

 痛みや弱味をチームメートにも決して見せない菊池雄。だが、仲間は異変を感じていた。
「(ファンやマスコミに囲まれるため)バスからあまり降りようとしなくなりました」(佐藤隆二郎)
「ホテルでは(一般客を避けるため)遠回りして部屋に戻っていました」(柴田貴博)
「ボールを拾うときの動作がおかしかった。明らかに変でした」(笈川裕介)
 準々決勝の明豊高戦で菊池雄が痛む腰を抑えた姿は、ナインが「初めて見ました」と口を揃えた弱々しい姿だった。
 2回戦の横浜隼人高戦の翌日に痛み止めの注射を打った後、菊池雄は「針のあとが痛い」とこぼしていた。それでも、3回戦の東北高戦の後には自ら希望してもう一度痛み止めの注射を打った。
「(注射を打たないと)不安だったんだと思います。見ていても気分の浮き沈みが激しかった。いつもはそういうことはないんですけど……」(小菅智美コーチ)
 病院ではほかの患者から勝手に携帯で写真を撮られ、珍しく嫌な表情をしたという。心も身体も、普通ではいられなかった。

チーム内外で愛された全力プレー

 敗戦後、宿舎でのミーティング。テレビカメラと報道陣に囲まれるなか、菊池雄はチームメートへ涙ながらにこう話した。
「自分のことを信じてみんなやってきてくれたのに、最後に裏切って申し訳ない気持ちでいっぱいです。今日投げられなかった分、大歓声の中でマウンドに立つ姿をみんなに見せれるように頑張るから、これからもよろしくお願いします」
 話している途中には、ところどころに「いろいろ考えてたことがあったけど、忘れてしまって言えない」「進路はまだ考えてないけど」という言葉が入っていた。最後までテレビカメラに気を遣い、菊池雄らしさは見えなかった。

 センバツは岩手県史上初の準優勝。夏は岩手県90年ぶりのベスト4。日本一になるという目標にはあと一歩届かなかったが、間違いなくことしの高校野球界を日本一盛り上げたのは菊池雄星だった。
 投手にもかかわらず、一塁まで全力で駆け抜ける。ときにはヘッドスライディングでひやひやさせたが、それが菊池雄星。「全力でやれる権利があるのに、それを放棄することはありえない」。だからこそ、チーム内外で愛された。
 野球人生はまだまだこれから。高校時代の経験を生かして、“雄星世代”を引っ張っていってほしい。日本一の投手、そして世界一の投手を目指して。重圧に負けず、困難に負けず、自分を信じて。周りなんて気にしないでいい。これからも、雄星らしく全力で――。

<了>

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著者プロフィール

スポーツジャーナリスト。1975年12月31日、神戸市生まれ。学習院大卒業後、ラジオ局勤務を経てスポーツジャーナリストに。高校野球の徹底した現場取材に定評がある。『智弁和歌山・高嶋仁のセオリー』、『高校野球監督の名言』シリーズ(ベースボール・マガジン社刊)ほか著書多数。講演活動も行っている。「甲子園に近づくメルマガ」を好評配信中。

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