日本マラソン、広がる世界との差 東京・福岡国際マラソンの結果を受けて

折山淑美

優勝したのは、北京五輪銅メダリストのツェガエ・ケベデ(2)。日本人トップとなった入船敏(右から2番目)も我慢の走りを見せる 【写真/陸上競技マガジン】

 12月7日の福岡国際マラソンは、北京五輪以上の衝撃を与えられる結果となった。その主役は、21歳のエチオピア人ランナーのツェガエ・ケベデ。4回目のマラソンだった北京五輪で、銅メダルを獲得したばかりの選手だった。

 最初の5キロを15分08秒で入ったレースは、10キロ過ぎから15分10秒台のペースに落ちた。中間点通過は1時間04分02秒。ペースメーカーがいなくなる30キロ過ぎからレースが動いても、昨年サムエル・ワンジル(ケニア)が出した2時間06分39秒の大会記録に届くのは難しいだろうと思えた。
 だがケベデは、そんな見通しさえ見事に裏切る走りをした。ペースメーカーが5キロを14分51秒に上げて姿を消した30キロ過ぎ、彼はそこから1キロ2分50秒台前半までペースを上げて松宮祐行(コニカミノルタ)、佐藤智之(旭化成)、入船敏(カネボウ)の日本勢を突き放した。しかもそのスパートは一瞬だけではない。157センチという小柄な体ながら、歩幅が伸びてピッチも速いリズミカルな動きが鈍ることはなく、2時間06分10秒でゴール。大会記録を29秒縮めての優勝となった。

「自分の記録を更新したいと思って、自分のリズムで走った」
 という彼は、35キロまでの5キロを14分17秒という驚異的なラップタイムで駆け抜けたのだ。この間だけで2番手を走る佐藤と入船との差を、1分11秒にもしていた。 その後も40キロまでを14分47秒で走り、最後の2.195キロも6分25秒とまったく崩れなかった。母国の先輩であるハイレ・ゲブレセラシエが、今年9月28日のベルリンで出した2時間03分59秒の世界記録にも「練習をすれば記録はドンドン更新できるものだと思うから、世界記録を破るのも可能だと思っている」と、恐れさえ感じないでいる。

マラソンなら瞬発的なキレ味がなくとも勝負ができる

日本人トップ、全体2位の2時間09分23秒でゴールした入船。来年の世界選手権の代表権を獲得した。 【写真/陸上競技マガジン】

 これまでのマラソンの常識を、アッサリと覆した30キロからの14分17秒という驚異的なラップタイム。夏のマラソンで序盤のペースがもっと遅ければ、13分台のラップに入る可能性さえ暗示するタイムだ。
 それとともに世界のマラソンの多様化を示したのは、彼がトラックレースの実績をまったく持っていないことだ。これまで5000メートルは一度も走ったことは無く、1万メートルのベスト記録を尋ねても、今年5月の10キロロードで出した28分10秒だと口にする。だがその走りを見る限り、トラックの1万メートルでも26分台の走力は確実に持っているのだろう。

「選手層が厚いエチオピアで、彼の場合はトラックでトップに食い込める可能性は低いからロードで力を伸ばせ、ということになったと思うんです」
 と日本陸上連盟の河野匡男子マラソン部長は説明する。

 瞬発的なキレ味がなければトラックレースでは勝てない。だがその切り替えが無くてもマラソンなら勝負できるということだ。

 07年6月にエチオピア・アジスアベバのアベベ・ビギラマラソン優勝でマラソンデビューをしたケデベは今年、2月のハーフマラソンを2回走って、4月にはパリマラソンを2時間06分40秒で優勝。5月に10キロロードに出場して8月に北京五輪へ出場した。その後も10月にハーフマラソンを59分45秒で走り、今回の福岡で優勝とロードレース専門ランナーとして活躍しているのだ。
 北京五輪のハイペースのマラソンに続き、福岡でも世界男子マラソンの急激なレベルアップを見せつけられたのに対し、日本勢はまたしても世界との大きな差を見せつけられる結果に終わった。入船が2位に入って世界選手権代表に内定したとはいえ、40キロまでの5キロのラップは16分04秒でラスト2.195キロは7分10秒かかり、ゴールタイムも2時間09分23秒だった。また、レース前には「2時間6分台を出す練習はできた」といわれていた佐藤も、35キロ以降は失速して2時間09分59秒の4位に終わった。そんな彼らを含め、日本選手たちは、これまでのマラソンに対する意識を一変させて一から取り組み直さなければ、世界との差は広がるばかりだろう。

女子マラソンに押し寄せるスピード化の波

山下佐知子(左)監督とともに、お立ち台に立った尾崎好美 【写真/陸上競技マガジン】

 一方、女子では、11月16日の東京国際女子マラソンで、尾崎好美(第一生命)が30キロからの各5キロを17分10秒台にまとめて2時間23分30秒の好記録で優勝している。彼女は27歳だが、マラソンは今年3月の名古屋国際女子マラソンに続く2回目だった。「マラソンをやりたくて実業団へ入ったけど、周りの選手が順調に距離を伸ばしていくのを見ていて焦る気持ちもありました。でも山下(佐知子)監督から、『マラソンは何歳になってもできる。ちゃんとトラックでスピードをつけてからにしよう』と言われたので」 と、ジックリと準備をしたうえでの結果だった。
 彼女の今回のレースも、将来の2時間20分突破を念頭に置き、1キロ3分20秒ペースを経験するのが最大の目的だった。その意味では、世界戦略をしっかりと持った上でのマラソン挑戦だといえる。

 ただ、男子マラソンが急激に変化しているように、女子マラソンも変わる可能性は十二分に持っていることを意識しておかなければいけないだろう。
 女子の現在の世界記録は、2003年にポーラ・ラドクリフ(イギリス)が出した2時間15分25秒だ。だが幸いなことに、男子の分厚い選手層と違い、女子の場合はまだ本格的にマラソンに取り組む選手が少ないのが現状。1万メートルの世界記録も1993年に王軍霞(中国)が出した29分31秒78だが、2000年以降はラドクリフの30分01秒09が最高と足踏みしている。結局、マラソンも1万メートルと同じように、後に続く選手が出てこないために、現実として存在する世界記録も「特別なもの」として意識されるだけで、全体的なレベルを上げるまでには至っていないのだ。そのため、1万メートルが31分台の日本人選手でも、マラソンなら世界に通用するという状況を保っていられるのだろう。

 だが5000メートルの記録は04年以降動きだし、世界記録も今年はティルネッシュ・ディババ(エチオピア)が14分11秒15まで伸ばしている。今年の世界トップリストを見ても、1997年から2004年まで世界記録として君臨した姜波(中国)の14分28秒09を4人が上回っている。 その動きがマラソンまで波及するにはある程度の時間はかかるだろうが、いつかはくるものだと意識しておかなければいけない。

<了>
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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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