世界に追いつけ! 布啓一郎が掲げる育成改革論=U−18日本代表監督、ユースダイレクター布啓一郎氏インタビュー第2回
ユースダイレクターとして、育成プランを説明する布氏 【スポーツナビ】
一番やらなければいけないことはリーグ戦環境を作ること
育成に関しては3つの柱がありますが、究極的に言うなら指導者の質が一番大事になってくると思います。それ以外の2つは、トレーニング環境とゲーム環境です。今、日本が一番やらなければいけないことは、年間を通したリーグ戦環境を低年齢の小学生年代から高校生年代まで作ることです。
――布さんはずっとリーグ戦導入の考えを貫いていらっしゃって、市船時代はいち早くヴィヴァイオ船橋を作って補欠がでないような環境作りに尽力されてきました。もう少し詳しくリーグ戦構想についてお話いただけますか?
3つの考え方がありまして、まずは年間リーグであること。年間20試合程度をホーム&アウエーでやりたいです。次に、拮抗(きっこう)したリーグであること。例えば、10点差くらい開くようなゲームで「いい経験になりました」なんて言う人がいますけど、わたしは決していい経験だとは思わないんです。そこまで開けば、勝った選手も負けた選手もつまらないですから。平等というのは、お互いが楽しめる環境だと思います。あと、複数のチーム登録が可能であること。つまり、補欠ゼロ。
では、なぜリーグ戦かというと、日本人の1つの欠点というか課題は、チャンスとピンチを感じる力が足りないところです。子供というのは失敗するものですから、リスクを冒さないとそういうものは体験できないんですよ。それがトーナメント戦になれば、子供も指導者もリスクを冒すことを避けてしまう。年間を通したリーグ戦であれば負けても次のゲームがある。選手も指導者も自分の責任でリスクを冒していく。そういう環境を作っていきたいと思っています。また、リーグ戦にすると指導者がああだこうだ教えていくよりも試合を通してサッカー理解が深まっていくと思います。つまり、教える環境ではなく、子供が育つ環境。そして、同時にリーグ戦が指導者を育てるようになるのではないかと思っています。
指導者は多用な個性を評価できるようにならなければ
布氏が強く訴えるのがリーグ戦の導入だ。インターハイなど各種大会をどう調整し、環境を整えるのか 【スポーツナビ】
単純なことですけれど、サッカーの原理原則をブレずに選手にすり込んでいける指導者じゃないでしょうか。特に育成年代ではサッカーの原理原則を習慣化する。多分、そういうことができればプロになった時に監督がどれだけ変わろうが柔軟にそのサッカーに対応できる選手が育つと思います。日本の指導者はいい意味で聞く耳を持ってくれている。そういう中で最終的には自分の色を出せるようにしてもらいたいです。教科書通りには教えないけれど、教科書の内容をしっかり理解していて、子供にうまく理解させられる先生っているじゃないですか? そういう風になっていくことが理想なんじゃないですか。あと、わたしはコーチにクリエーティビティー(創造性)がなければ選手に「クリエーティブになれ」と言ったって無理だと思っています。コーチ自身が柔軟な発想を持ってやっていく。協会が言っていることはあくまで土台のキーファクターで、それは自分の頭の中の引き出しに入れておけばいいと思っています。
――近年は、指導の画一化によって日本の選手から個性がなくなっているとの批判も出ています。例えば、99年のワールドユース(現U−20ワールドカップ)で準優勝したチームには個性的な選手が多く、今の若手には個性的な選手が少ないようなイメージがありますが、弊害というのは出ているのでしょうか?
わたしは(弊害は)出ていないと答えます。その理由は、サッカー自体が進歩しているからです。今のサッカーは時間も空間がどんどんなくなってきていて、例えばチャンピオンズリーグ決勝のマンチェスター・ユナイテッドとバルセロナのユニホームを逆にして、選手が覆面でも付けてプレーしたら本当にチームや選手が分かりますか? というところまで似かよってきています。だから、今は全体的に選手の個性は見えにくくなっている。10年、20年前は1試合見れば誰が中心選手か分かったかもしれないけれど、今は日本の育成年代の試合を見ても誰が中心選手か分かりにくくなっています。それはまさに全体がレベルアップしているからです。
ただし、日本の指導者の評価基準は変えていかなければいけないと思っています。というのは、日本人で目立つのはどうしても中盤の選手ですが、それはラストパス、スルーパスを出せる選手を「いい」と言う傾向があるからです。でも、運動量があってプレーをし続けられるとか、守備で常にボールを奪える選手とか、多用な個性を評価できるようになればもっといろいろなものが見えてくると思います。日本人指導者の価値観が固定化している面は、もしかするとあるのかもしれません。