大分トリニ−タに一体何が起きているのか?=最下位に沈む低迷の要因とは

宮明透

大宮に敗れて7連敗、肩を落とす大分イレブン=NACK5 【共同】

 くしくも昨年のナビスコカップ優勝時(11月1日)にこのスポ−ツナビに『大分トリニータは何が変ったのか?』というタイトルでコラムを書かせていただいた。もちろん、地方でゼロから出発したクラブがナビスコカップで優勝するに至った経緯を書いたのであるが……。
 あれから6カ月、たった半年の間に2009年シーズン第10節を終わって1勝1分け8敗で勝ち点4、最下位の18位であえぎもがいている大分の現状を再び見つめ直そうとは思いもよらなかった。人は時間と空間の中で喜怒哀楽を表現し、脳神経の五感で好不調の波が来る。そういった複雑怪奇な人間がやるサッカーだから、当然、大なり小なりの波が来るのが自然であろうと思いつつ、やるせない思いで大分を直視する。

シャムスカ体制を維持し、例年通りのシーズンスタートだったが……

 昨年の12月6日、J1リーグ最終戦が終わっての記者会見でシャムスカ監督は「来季はAFCチャンピオンズリーグ(ACL)に参加したい」「攻撃のレベルを上げたい」「まず2008年のレベルを維持することにパワーを注ぎたい」「アジア枠の活用もあるだろうし難しいシーズンになる」と語っていた。リーグ順位は過去最高の4位、そしてナビスコカップ優勝という初めてのタイトルを獲得し、監督就任4年目にして誇らしいシーズン終了だった。

 昨季の終盤、2009年シーズンに向けてはまずシャムスカ体制が堅持されることが決まった。その後始まった契約交渉ではフロントは選手の慰留に全力を傾けた。選手は「この監督の下でやれるなら再びタイトルを狙える」と主力の多くが大分に残った。同じスタッフ陣、同じ選手たちならば同じサッカーができる。さらにけがから復帰の高松大樹や家長昭博が復調すればさらに上に向かえるはずだ――そこには何の異論もなかった。変化があったのはフィジカルコーチ、そしてシャムスカ監督の通訳、そして深谷友基(左ひざの負傷で全治半年)のけがくらいだった。

 静かなシーズンオフが終わり、年が明けた1月10日ごろから選手がクラブハウスに散々と顔を出し始め、走ったり、フィジカルトレーニングを行ったりしては帰っていく自主トレが始まった。それはこの時期に毎年見る風景だった。自主トレなのでそんなに自らに負荷をかけていない。軽くジョギングしたりして、あくまで全体練習に備えるための準備期間である。この時期に今季の低迷の予兆はまったく感じなかった。しかし同時期、浦和レッズはフィンケ新体制になってすでに宮崎で稼動し始めていた。

 シャムスカ体制になってから毎年2月1日が全体練習の開始日になっている。しかし、この時期にはすでに多くのクラブは活動を開始している。「遅いのではないか」と思う関係者にシャムスカ監督は「10日間あればシーズンに入れる」と笑顔で語っていたこともあった。

パンパシフィック選手権によるスケジュールの狂い

 今年はナビスコカップ優勝チームが参加する米国でのパンパシフィック選手権に出場したことによりスケジュールが大幅に変わった。2月中旬から始まるこの大会に焦点を合わせて大分でトレーニングを開始した。試合ができる体を作り、パンパシフィック選手権でタイトルを狙う、大分の目標は明確だった。選手も昨年の自信を胸に懸命にトレーニングに励んでいった。

 ここで大分のスケジュールを整理すると、全体練習が始まったのが1月31日、そこから訪米するまで正味10日間の練習(この間に九州学生選抜と練習試合)、そして米国滞在12日間(大会試合2試合)、帰国してから3月7日のリーグ戦開幕までの10日間でアビスパ福岡と練習試合を行った。通常ならば米国での12日間あたりでフィジカルトレーニングのピークを迎えて徐々に疲労回復していくが、今季はそれができなかった。その影響が思いもよらない形で表れてくる。

 昨季の大分は、6月29日第14節ヴィッセル神戸戦から9月23日第26節コンサドーレ札幌戦までの4カ月の17試合(ナビスコカップ含む)で11勝6分と連続無敗を続けた。この間、零封試合が10試合、1失点試合が5試合、2失点試合が2試合と素晴らしい守備力で負けない大分を見せ付けた。
 印象深いのは第19節のガンバ大阪戦である。1−0で勝利したのだが、見るべきはその試合内容。G大阪のパスサッカーに対して中盤を制圧して完ぺきに試合の主導権を握った。よく走れてよくパスがつながり完ぺきなまでの試合展開だった。
 この絶頂期は攻められても余裕のある守りで弾力性に溢れていた。自ゴールにブロックを作り、クロスに対してはことごとくはね返し、シュートを打たせない1対1の強さと、体幹の強さを見せ付けてサイドも制圧していた。自信に溢れたサッカーを行っていたのである。

 しかし、今シーズンに入ってからは、自軍ゴール前に張り付いてボールを跳ね返すのが精いっぱいで、前へ進む推進力も薄くなってしまっている。さらにフィジカル面の劣化から体幹の強さが落ちて1対1では淡白なシーンが目立ち、ファウルを重ねて出場停止などが増えているのである。

 大分のサッカーがいつから現状のような形へ変化してきたのか? それは昨シーズンにさかのぼる。大分はシーズン終盤まで優勝戦線に残ったが、9月末ごろからの最後の8試合は2勝2分け4敗と、やや失速気味になっていて、一時の勢いはなくなりつつあった。11月1日のナビスコカップ優勝はタイトル奪取意欲で一時的に高揚したが、フィジカル的なコンディションとシーズン終盤の疲労も重なってパフォーマンスは徐々に下降していた。

 昨季の終盤戦、「優勝」という2文字が脳裏にかすめていく試合で大分の守備力はことさらに強調されていた。この守備力、「1点取れれば勝てる」という思い、「大分の特徴は守備だ」という脳神経は守備ラインを微妙に変化させていった。攻撃と守備は表裏一体を成しており、守備の意識を強調していくことは、攻めの意識が薄くなることでもある。その微妙な兆候は昨シーズンから表れていたのである。

1/2ページ

著者プロフィール

1949年、大分県佐伯市生まれ。サッカーは1961年、中学入学と同時に始める。その後、スポーツ少年団やサッカースクールで指導。九州リーグ新日鐵大分の初代メンバー。大分トリニータ設立時は大分県サッカー協会理事として動く。女子委員長なども歴任。大分トリニータボランティアの会長も務め、現在は顧問。NHK大分ではテレビ解説も行う。朝日新聞大分版に大分トリニ−タのコラムを執筆中。国立大分高専勤務でサッカー部顧問。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント