広島が“魅せるサッカー”でJ1に挑む=ペトロヴィッチ監督インタビュー

中野和也

日本の選手は敗戦に対する恐怖を必要以上に抱えている

ペトロヴィッチ監督が率いる広島の攻撃サッカーはJ1の舞台でも輝きを放てるか 【中野和也】

――どのように日本のサッカーが変わっていくと?

 サポーターも「面白いサッカーが見たい」と思っている。勝つだけでは満足できなくなり、よりスペクタクルな面白いサッカーを求めている。結果だけでなく、内容が問われるようになるだろう。日本には、それができる質を持った選手たちがいるし、賢明な日本の方々のことだから、サッカーの方向性を転換していくように持っていくはずだ。
 日本は、欧州とは違う独特な文化を持っている国だ。それは、スポーツに関しても同様だと思う。よくあるのは、Jリーグにやってくる外国人監督がその文化を変えようとすることだ。

 わたしは、日本の文化を尊重しつつ、そこにわたしが学んできた欧州のやり方をプラスさせようと考えた。その一つが、「選手に自由を与えること」だ。日本には、いい選手が多い。しかし、自分のアイデアを発展させてプレーとして表現することに対して、自ら制限をかけていたのではないか。多くの選手たちは、何かに縛られた状態でプレーしていた。そこにわたしは自由を与えたいと思った。日本の選手の多くは、敗戦に対する恐怖を必要以上に抱えている。「負けたら、どうしよう」。そんな思いが頭の中を占めている状況では、なかなか自分のプレーに自信を持てない。

 わたしはいつも選手たちに言っている。サッカーでは、負けることは決して珍しいことではない、と。負けることは「最初で最後」ではない。負けたとしても、そのことは次の日にでもしっかりと話をして、あとは次の試合に向けて切り替えるべきなのだ。相手をリスペクトしながら、自分たちの力を信じる気持ち。それを、わたしは求めたい。相手をリスペクトしすぎると、自分たちのいいところは出てこない。自分の強さを信じることだ。このことは広島だけでなく、日本代表にも通じる部分だろう。

ピクシーと対戦するのは本当に楽しみ

――的確な指摘だと思います。それは、この3年半の実感ですか?

 もちろん、その通りだ。また、日本に来る前にオシム(前日本代表監督)から得た情報も参考になった。日本人はミスを恐れるあまり、結果として“アリバイ的なプレー”を選択する。でも、サッカーはリスクがつきもののスポーツだ。ミスを恐れず、トライすべきだ。なぜ、ミスを恐れるのか。それは、自分に自信がないからだ。ミスをするとやばい、と思いすぎると、逆にミスも起こりやすくなる。

――オシムさんの名前も出ましたが、監督と同じようにオシムさんの薫陶をうけたストイコビッチ監督(名古屋)と交流はあるのですか?

 もちろん、いい関係にあるよ。電話でも話をするし、キックオフ・カンファレンス(2月27日)でも会ったからね。まあ、彼は後輩だから、ピクシー(ストイコビッチの愛称)の方から電話をかけてくる方が多いかな(笑)。彼のチームと試合をすることは本当に楽しみだし、勝てたらさらにうれしいね(笑)。

――今季、広島が目指すところは?

 わたしは、広島が「日本のホッフェンハイム(ドイツ・ブンデスリーガで今季2部から昇格し、いきなり優勝争いを演じているクラブ)」となることを真剣に願っているんだ。もちろん、森崎浩司、森脇、高萩らが戻ってくれば、ということが前提にはなるけれど。主力がそろえば、広島は日本のどのチームと対戦しても、内容で上回ることができるだろう。
 われわれの妨げとなるものは、チームというよりも個人的なミスだ。先ほど話したように、J1ではミスがそのまま失点へとつながる。攻撃でも、チャンスを得点につなげる確率をもっと上げないと厳しい。だけど、そこをしっかりと修正していけば、十分に勝つチャンスはある。

 重要なのは、主力がそろわないままで迎えるシーズン序盤の戦いだ。特に開幕戦で戦う横浜FMはわれわれと同じシステムで戦うチームだし、質も高い。厳しい戦いとなるだろうし、いい準備が必要となる。森崎浩司と高萩が不在となるトップ下をどうするか。高柳一誠、平繁龍一、そして清水航平と候補がいる中で、どの組み合わせがベターなのか、開幕までにしっかりと考えたい。

<了>

■ミハイロ・ペトロヴィッチ/Mihailo Petrovic

1957年10月18日生まれ、ユーゴスラビア(現セルビア)出身(オーストリア国籍)。選手時代はセルビアやオーストリアのクラブチームで活躍、旧ユーゴスラビア代表として1982年スペインW杯欧州予選に出場した。引退後はSVペラウ(オーストリア)で監督を始め、シュトゥルム・グラーツのアシスタントコーチ時代にはオシム監督とともにチームを率いる。2006年6月にサンフレッチェ広島の監督に就任すると、下位に低迷していたチームをJ1残留に導く。07年はJ2に降格したものの、08年には若手選手を積極的に起用してJ2で優勝し、J1昇格を勝ち取る。ショートパスをつなぐ攻撃的なポゼッションサッカーを志向。

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著者プロフィール

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

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