ビジュアルと実力を兼ね備えたスキー界の華、福田修子

岩本勝暁

大きな活躍を見せたトリノ五輪

美しさと強さを持ち合わせる福田修子。3度目の五輪を目指す 【Photo:築田純/アフロスポーツ】

 福田修子と夏見円――。雪上の美人ペアが、2006年のトリノ五輪で花を咲かせた。
 新種目に採用されたノルディックスキー距離の団体スプリント。「ここまで来たら楽しもう」。夏見の言葉に、福田も背中を押された。10チームで争われたファイナル。夏目の1周目は最下位と出遅れたが、2周目の福田が7位まで追い上げた。2周目の夏目が粘り、一時は4位まで順位を縮める。最後はカナダや北欧勢に屈したが、女子クロスカントリーでは史上初となる8位入賞の快挙を成し遂げた。

 福田は続く女子20キロリレーでも、周囲を驚かせる快走を見せる。第1走者としてレース序盤から先頭集団に食らいつくと、脅威のスパートを見せてトップで石田正子につないだのだ。結果は12位だったが、福田の活躍が日本のノルディックスキー界に光を与えた。
「イメージした通りの走りができた。ワールドカップを6年やってきたが、いいときもあれば、悪いときもある。大事な五輪でいい走りができて、満足しています」

引退を考えるも現役続行へ

 リンゴ農家に育ち、幼いころから重い木箱を担いで自然と下半身の筋力を養った。スキー部に在籍した中学では、その身体能力を買われて駅伝の全国大会にも出場したという。下半身のバネは、当時から群を抜いていた。
 大鰐高に進学してその才能はさらに開花。インターハイの10キロフリーで優勝し、一躍、その名を全国に広めた。卒業後は弘果SRCに入り、2001年全日本選手権の距離複合で優勝。さらに30キロクラシカルも制し、2002年のソルトレーク五輪に出場した。しかし、初めてのオリンピックは苦い思い出が残った。レース途中で転倒して棄権――。それだけに、トリノ五輪にかける思いは人一倍強かった。

 一度は引退を示唆したが、現役続行を決意。2007年の長春アジア大会では、ウインタースポーツの顔として旗手を務めた。その年に弘果SRCを退部し、新しい環境を求めて再スタート。8月にはサポーター会員からの支援やスキー場との提携によって選手の強化費を捻出(ねんしゅつ)する「Gold Peaks Project(ゴールドピークスプロジェクト)」が立ち上がり、福田も心強いサポートを得ている。
 今年11月22日、スウェーデンのイエリバレで、今シーズンのワールドカップが開幕した。福田は女子10キロフリーで47位だったが、終盤は粘りのある走りを見せた。
 3度目のオリンピックに向けて、視界は良好だ。舞台はバンクーバーの北に位置するウィスラー。ビジュアルと実力を兼ね備えた福田が、スキーの聖地で輝く日は近い。

福田修子/Nobuko Fukuda

1980年7月29日生まれ、青森県大鰐町出身。小学生のときにスキーをはじめ、高校時代はインターハイの10キロフリーで優勝。2001年全日本選手権の距離複合、30キロクラシカルで優勝し、2002年ソルトレイク五輪の出場を果たす。2006年トリノ五輪では夏見円と組んだ団体スプリントで日本人初となる8位入賞。2007年に札幌で開催されたノルディックスキー世界選手権の団体スプリントで13位、リレーで8位に入った。岐阜日野自動車スキークラブ所属。

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著者プロフィール

1972年、大阪府出身。大学卒業後、編集職を経て2002年からフリーランスのスポーツライターとして活動する。サッカーは日本代表、Jリーグから第4種まで、カテゴリーを問わず取材。また、バレーボールやビーチバレー、競泳、セパタクローなど数々のスポーツの現場に足を運ぶ。

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