宙に舞うトランポリンの妖精、廣田遥

岩本勝暁

愛らしいルックスを持つ廣田。いまやその人気は、スポーツ界だけにとどまらない 【Photo:Atsushi Tomura/アフロスポーツ】

 156センチの小柄な身体がふわりと宙に浮き、くるりとその身を翻す。高さは約5メートル。マンションの3階に相当する高さだ。10回の跳躍による演技時間は約18秒。廣田遥はその間、翼が生えた天使のように、高く、美しく舞い上がる。
 人気の理由は愛らしいルックスだけではない。指の先からつま先まで神経の行き届いた体の線の美しさ。スピードを生かした技の切れとダイナミックな演技で見る者を魅了する。

けがを抱えながらも、北京五輪代表に

 競技を始めたのは、ほんのささいなきっかけだった。小学6年になる春休みの2週間、オーストラリアに短期留学した。ホームステイ先の庭でトランポリン遊びに夢中になった。その年の秋に大阪トランポリンクラブの門をたたき、本格的に競技生活をスタート。器械体操で培ってきた柔軟性とバネは瞬く間に開花した。
 中学校3年で全日本選手権に初めて出場すると、高校2年でタイトルを獲得。阪南大進学後も国内トップの座を守り続け、2003年の世界選手権では西岡尚美と組んだシンクロナイズド競技で4位に入った。さらに、2004年のアテネ五輪で7位入賞を果たし、世界の頂点を視野に入れた。
 しかし、ハードな練習はけがと隣り合わせだ。2006年のドーハ・アジア大会で4位に入ったものの、翌年2月に右足のすねを疲労骨折し、7月には左ひざをねんざ。十分な練習ができず、11月にカナダで行われた世界選手権は15位と力を発揮することができなかった。
 2008年5月に大阪で開催されたワールドカップは7位。一時は日本ランク首位の座も明け渡したが、最終選考会でライバルの半本ひろみと代表権を争い、2大会連続の五輪出場を決めた。

ロンドン五輪へ「もう一度挑戦したい」

北京五輪ではけがの影響もあり、12位と不本意な成績に終わった 【Photo:ロイター/アフロ】

 メダルを期待されて挑んだ北京五輪。だが、廣田は満身創痍(そうい)だった。上位8人で争われる決勝に進むことができず12位。取り組んできた大技の「トリフィス・バラニーアウト(前方3回宙返り2分の1ひねり)」を披露することなく、夢舞台は幕を閉じた。試合後には、大会の直前に恥骨骨折と右足の肉離れを起こしていたことを明かした。北京に入ってからは、自力で階段も下りられなかったという。
「1本跳ぶためにトレーナーさんが朝から晩までケアしてくれました。10本跳ぶことも精いっぱいでしたが、演技をやり通せたことでほっとしました」
 プレッシャーから解放された安堵(あんど)感。だが、視線はすでに4年後のロンドンへ向けられていた。

「まだ体が動く年齢なので、もう一度挑戦したい」
 再スタートの舞台は、北京五輪から2カ月後の全日本選手権だった。廣田は8連覇を達成し、健在ぶりをアピール。新たなチャレンジは、すでに始まっている。

廣田遥/Haruka

1984年4月11日生まれ、大阪府箕面市出身。小学6年で本格的にトランポリンを始め、高校2年のときに全日本選手権で初優勝。以来、2008年まで8連覇中と国内トップの座を維持している。国際大会でも活躍し、2003年の世界選手権は西岡尚美と組んだシンクロナイズド競技で4位。今年5月に大阪で開催されたワールドカップで7位に入るなど、着実に力をつけている。2004年のアテネ五輪で7位入賞を果たし、2008年の北京五輪は12位。阪南大学所属。

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著者プロフィール

1972年、大阪府出身。大学卒業後、編集職を経て2002年からフリーランスのスポーツライターとして活動する。サッカーは日本代表、Jリーグから第4種まで、カテゴリーを問わず取材。また、バレーボールやビーチバレー、競泳、セパタクローなど数々のスポーツの現場に足を運ぶ。

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