宙に舞うトランポリンの妖精、廣田遥
愛らしいルックスを持つ廣田。いまやその人気は、スポーツ界だけにとどまらない 【Photo:Atsushi Tomura/アフロスポーツ】
人気の理由は愛らしいルックスだけではない。指の先からつま先まで神経の行き届いた体の線の美しさ。スピードを生かした技の切れとダイナミックな演技で見る者を魅了する。
けがを抱えながらも、北京五輪代表に
中学校3年で全日本選手権に初めて出場すると、高校2年でタイトルを獲得。阪南大進学後も国内トップの座を守り続け、2003年の世界選手権では西岡尚美と組んだシンクロナイズド競技で4位に入った。さらに、2004年のアテネ五輪で7位入賞を果たし、世界の頂点を視野に入れた。
2008年5月に大阪で開催されたワールドカップは7位。一時は日本ランク首位の座も明け渡したが、最終選考会でライバルの半本ひろみと代表権を争い、2大会連続の五輪出場を決めた。
ロンドン五輪へ「もう一度挑戦したい」
北京五輪ではけがの影響もあり、12位と不本意な成績に終わった 【Photo:ロイター/アフロ】
「1本跳ぶためにトレーナーさんが朝から晩までケアしてくれました。10本跳ぶことも精いっぱいでしたが、演技をやり通せたことでほっとしました」
プレッシャーから解放された安堵(あんど)感。だが、視線はすでに4年後のロンドンへ向けられていた。
「まだ体が動く年齢なので、もう一度挑戦したい」
再スタートの舞台は、北京五輪から2カ月後の全日本選手権だった。廣田は8連覇を達成し、健在ぶりをアピール。新たなチャレンジは、すでに始まっている。