わずかながらも一歩前進、男子レスリング復活の兆し=北京レポート

宮崎俊哉

8月19日、北京五輪男子レスリング・フリースタイル55キロ級が行われ、日本代表の松永共広は決勝で敗れ銀メダルとなった 【Photo:ロイター】

 12日から、中国農業大学体育館で始まったレスリング。1988年ソウルオリンピックの小林孝至、佐藤満以来となる男子の金メダルが期待されたグレコローマン60キロ級・笹本睦(ALSOK綜合警備保障)が日本のトップバッターとして出場した。
 笹本はアルメニアのカレン・ナツァカニャンに第1ピリオド2−0、第2ピリオド3−0と完封勝ちを収め幸先のいいスタートを切ったが、続く2回戦、アトランタ、シドニーでオリンピック2連覇の宿敵ブルガリアのアルメン・ナザリアンにピリオドスコア1−2で敗れた。
 14日、84キロ級・松本慎吾(一宮運輸)、96キロ級・加藤賢三(自衛隊体育学校)が相次いで初戦敗退し、グレコローマンスタイルがメダルゼロに終わると、1952年のヘルシンキ大会以来50年以上にわたって続いてきたメダル獲得の伝統が途切れるかと心配されたが、日本男子レスリング最大のピンチに松永共広(ALSOK綜合警備保障)、湯元健一(日体大助手)が爆発した。

集大成で臨んだ松永「くやしい気持ちもあるが、よしとしたい」

フリースタイル男子55kg級準決勝でロシア選手と対戦し、抑え込む松永共広(青)。勝利し決勝進出=19日、中国農大体育館 【Photo:ロイター】

 女子のメダルラッシュを挟んで、19日に行われたフリースタイル55キロ級。松永はくじ運悪く世界選手権、オリンピックメダリストがひしめく最悪のブロックに回されたが、初戦セネガル、アダマ・デイアッタからフォール勝ちを奪って波に乗ると、トルコのセゼル・アクエルにも5−0、3−0の完封勝ち。さらに、2003年、2005年世界選手権優勝を飾り、松永が何度挑戦しても返り討ちにあってきたウズベキスタンのディルショド・マンスロフも撃破。タックル、組み手、グラウンド技とすべてが冴え渡り、準決勝では昨年の世界チャンピオン、ロシアのベシク・セラディノビッチ・クドゥコワをなんと第2ピリオド1分35秒フォールで沈め、決勝戦に進出した。

 オリンピック開幕が迫っても頑ななまでに自分の調整法を貫く一方、合宿の合間をぬって北京を訪れ、入念に下見。同行した住職である父に工事中の試合会場で御祓いをしてもらった松永は、迷うこなく自分を信じ、快進撃を続けたが、ここで力尽きたか。アメリカのヘンリー・セジュドとの決勝戦ではいいところなく、ピリオドスコア0―2で敗退。
 それでも、銀メダルを奪取して日本男子レスリングの意地を見せつけた松永は、「くやしい気持ちもあるが、自分のレスリング人生の集大成だと思って臨んだオリンピックで成績を残せたのでよしとしたい」と語った。

湯元、早くも決意はロンドンへ「この銅は通過点」

フリースタイル男子60kg級3位決定戦でキルギスタン選手と対戦し、攻め込む湯元健一(青)。勝利し銅メダルを獲得=19日、中国農大体育館 【Photo:ロイター】

 北京オリンピックに出場したレスリング男女10選手のなかで、最後まで熾烈な代表争いを続けてきたフリースタイル60キロ級・湯元は、1回戦でタジキスタンのビタリ・コリャキンに鮮やかなフォール勝ち。続く、インドの曲者、ヨゴシュワル・ドットにも積極的に攻めまくり、ピリオドスコア2−1。準決勝では、今年のヨーロッパチャンピオン、ウクライナのワシル・フェドルイシンに2−3、0−1と惜敗したが、「あれだけの激戦区を勝ち抜いてきたので、絶対にメダルはとれる、とらなければいけない」と気持ちを入れ換え、3位決定戦では2007年世界選手権3位のバザル・バザルグルエフ(キルギス)に最後はアンクルホールドを極めて、銅メダルを獲得した。

 「自分が出場させてもらった大会で伝統が途切れるのだけは、イヤだった。プレッシャーはありましたが、今はホッとしています。このメダルは通過点です」
 23歳、日本レスリング選手最年少の湯元は、早くもロンドンへ向けての決意を固めていた。

 前回のアテネオリンピックと比べて、女子は同じ金2・銀1・銅1、男子は銅2から銀1・銅1へ。
「わずかながら1歩前進。選手たちは本当によくがんばってくれました。“ありがとう”」富山英明監督がそう語ると、日本選手団団長を務める福田富昭・日本レスリング協会会長も「男子も少しずつ復活の兆しが見えてきた」と手応えを感じていた。
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