ザ・イエロー・サブマリン、再びCLの舞台へ
マヌエル・ペジェグリーニはチリで14年間の現役生活を送るかたわら、エンジニアでもあった。ウニベルシタ・カトリカの監督に就任したのが94年、このときにサッカー1本で行くことに決めるのだが、本格的なブレークは2001年にアルゼンチンへ渡ってからだ。最初のクラブはサン・ロレンソ、2年間も給料が未払いという破滅的な状況だった。ところが、ペジェグリーニはそんなチームの選手を巧みにモチベートして無敗記録を塗り替え、リーグ優勝を成し遂げる。その手腕が脚光を浴びて、次のシーズンにリバー・プレート(リーベル)の監督に迎えられた。
リーベルには、「リーベルでプレーしたことのない監督は成功しない」というジンクスがあった。9シーズン、リーベルでのプレー経験のない監督が失敗した後、2003年にペジェグリーニがそのジンクスを打ち破り、リーベルにリーグタイトルをもたらした。ビジャレアルが彼を監督に招聘するのは、リーベル時代のプレースタイルに魅了されたからだ。ペジェグリーニは、率いたチームに自らの刻印を残す監督である。攻撃的な4−4−2を愛するが、シーズン途中での大幅な変更を厭わない柔軟性も持つ。また、南米選手の獲得と使い方のスペシャリストだ。
「アルゼンチンでは、ボールを持つことが最も重要である。ボールを持って何をするかであって、ボールのない選手はあまり動かない。ボールを保持すること、相手に渡さないことが原則だ。反対に、ヨーロッパではあまりボールは重要ではなく、選手のフィジカルとモビリティーに重きが置かれている。私にとってはボールが最も重要だが、ビジャレアルでは選手たちにボールなしの動きの重要性を説くようにしている」
かくしてペジェグリーニは、ビジャレアルの南米選手をヨーロッパに順応させ、同時に彼らの強みを生かしたスタイルを構築した。今季、ペジェグリーニとビジャレアルはCLに戻ってきた。前回の2006年以上の成績を目指している。ちなみに、前回の戦績はベスト4だ。
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