谷亮子の敗因と最後に見せた執念=柔道
8月9日、北京五輪女子柔道48キロ級の谷亮子は準決勝で敗退し、銅メダルに終わる。準決勝で敗れた試合後の谷 【Photo:ロイター】
また、同男子60キロ級の平岡拓晃は初戦敗退となった。
谷の戦いに見えた躊躇
これまでの五輪で獲得したメダルは金2個と銀2個。谷は5回目の出場にして初めて、決勝の舞台へは進めないという屈辱を経験した。世界の大舞台での準決勝敗退は、16歳で初出場した1991年世界選手権で3位になって以来だった。
日蔭暢年女子監督は、こう評価する。
「ゴールデンスコアに持ち込もうとした谷は戦術を間違えた。ゴールデンスコアになれば相手が前に出てくるから、そこをカウンターで狙おうという戦術だったと思うが……」
どっしりと地に足が着きながらも、切れのいい動きで攻めていく柔道。この日の谷にはそんな姿が見えなかった。組み手争いでは手は出すものの、積極的につかまえようという姿勢が見えない。2回戦の対呉樹根(中国)戦も、小外掛けを飛ばしたのは終了間際から。ゴールデンスコアに入った29秒で小外掛けで倒した相手を転がして“技あり”を取ったものの、谷らしさはその一瞬にかいま見えただけの試合だった。続く3回戦の対パウラ・ベレン・パレト(アルゼンチン)戦も、格下の相手であるにもかかわらずほとんど組み合わず、“指導”1でやっと勝利したほどだった。
その姿勢はヨーロッパ選手権4連覇中のドゥミトル戦になるとさらに顕著になった。
ジックリと構えて一発で奥襟を狙ってこようとする相手に、ジャブのように手を出すだけで襟をつかもうとしない展開。結局は開始1分26秒と、2分06秒に両者が“指導”を取られたあと、谷だけが“指導”を受けるという形になってしまったのだ。見様によれば両者“指導”でもおかしくない状況ではあったが、タイミングを計って奥襟を取ろうとするドゥミトルに対し、谷が組もうとしなかったと見られても仕方ない展開だった。
8月9日、女子柔道の谷亮子は準決勝で敗れ、銅メダルを獲得。写真は3位決定戦で勝利後の谷 【Photo:ロイター】
「組際に勝負をかけるのは得意だが、長い間組んで勝負するタイプではない。(北京五輪代表選考会の)体重別選手権では、長く組んでしまって山岸絵美に敗れたが、外国選手もその試合を研究して狙ってくるかもしれない」
その評価を考えれば、谷は自分の得意とする組際の勝負に固執するあまり、守りの柔道になってしまったということも考えられる。彼女の敗因は、思い切って攻めることを躊躇(ちゅうちょ)したからなのだろう。
だが、彼女が本領を発揮したのはその敗戦からだった。
「気持を切り替えるというより、メダルを獲得するという気持だけだったので」
こう話す3位決定戦は、自分からリュドミラ・ボグダノワ(ロシア)の襟を取りにいき、掛け逃げ気味の技を出す相手を開始2分27秒でとらえ、払い腰で一本勝ちしたのだ。狙っていた3連覇が途絶えて気落ちしてもおかしくない状況での攻めまくる柔道。それは彼女のメダルに対する執念と、自分に課せられた責任を果たさなくてはいけないという義務感の現れだろう。銅メダルに終わったとはいえ、彼女は最後の最後に“谷亮子らしさ”を見せてくれたといえる。
けがの平岡、王座継承ならず
「試合の流れを自分のものにできなかったのが敗因です。相手を見てしまって攻めが遅かった」
と反省するが、結局は空回りをして“指導”1を受けての1回戦敗退。彼らしさの片りんを見せる場もなく初五輪を終えてしまった。
彼は8月7日の記者会見でも、並んだ選手の中でひとりだけ硬い表情をしていたのが気になっていた。抱えてしまったひざの故障も、普通の大会なら難なく乗り越えられたものだろう。だが五輪となると、「自分が万全で臨めない」という思いは、自分の想像以上に膨らんでしまうものだ。そんな危機をバネにして集中力に変えていくということも、初出場だった彼には難しいことだっただろう。彼にとっては1回戦負けという結果以上に、それまでの過程の苦しみが貴重な経験になるはずだ。
昨年の世界選手権での五輪実施階級は谷亮子の金メダル1個に終わり、厳しい戦いが予想されていた日本柔道。競技初日で流れに乗り損ねたチームの中で、カンフル剤となる選手の活躍を期待するしかない。そのヒーロー、ヒロインがいつ登場するかで、北京の日本柔道の結果は大きく変わってくる。
<了>
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