ノヴィツキ率いるドイツ、悲願の五輪切符を手に北京へ=バスケ

宮地陽子
 北京五輪での男子バスケットボール出場枠12カ国最後の切符を勝ち取ったのはドイツだった。7月20日、世界最終予選の3位決定戦でプエルトリコを破り、1992年以来、4大会ぶりの五輪出場を決めたのだ。
 この試合、32得点をあげる活躍でドイツを勝利に導いたエース、ダーク・ノヴィツキは、試合後、感極まって号泣した。
「10年間、五輪に出たいと思ってやってきた。シドニーを逃し、4年前のアテネも出られず、今回やっと五輪に行けることになって、まさに夢がかなった気分だ」とノヴィツキは胸の内を語った。

 213cmの長身ながら、ガードのような運動能力と器用さを備えたノヴィツキは、ヨーロッパ最高のバスケットボール選手と評され、2006−07シーズンにはヨーロッパ出身の選手として初めてNBAのシーズンMVPにも選ばれている。しかし、その“ノヴィツキ率いるドイツチーム”では、まだ一度も五輪の舞台を踏んだことがなかった。

ドイツに帰化したクリス・ケイマンの存在

 元々、ドイツではバスケットボール人気が高いわけではなく、ノヴィツキというスーパースターが突然現われたことによって、注目されることが増えたスポーツに過ぎなかった。2年前、ノヴィツキ率いるダラス・マベリックスがNBAファイナルに進出した時には、同時期に自国で開催されたサッカーのワールドカップの熱狂の陰になってしまったほどだ。
 代表チームは、ノヴィツキと共に成長してきた同年代の選手が中心となっているが、全体の能力的には他の強豪国の選手に及ばず、ノヴィツキのワンマンチームであることは否めなかった。短期間に何試合も戦わなくてはいけない国際大会、特に競争の激しいヨーロッパの大会をワンマンチームが勝ち抜くことは簡単なことではない。2002年、06年と世界選手権で世界の舞台は経験したものの、五輪はこれまで手が届きそうで届かない夢だったのだ。それだけに、やっとの思いで念願の五輪の切符をつかんだノヴィツキの喜びはひとしおだった。

 ところで今回、夢が現実になった陰には、コート内だけでなく、コート外でのノヴィツキの活躍があった。曽祖父母がドイツ人だったというロサンゼルス・クリッパーズのクリス・ケイマンをドイツ代表に勧誘し、ドイツ協会との間に入って、ケイマンがドイツ国籍を取得する手助けをしたのだ。半年以上に渡る準備と手続きを経て、ケイマンは7月頭、世界最終予選が始まる10日前にドイツ国籍を正式に取得、代表に合流した。世界最終予選ではゴール下を支え、チーム2番手としてノヴィツキを支援していた。五輪出場を決めたプエリトリコ戦でもケイマンは10点・12リバウンドを上げる活躍をしており、ケイマン抜きではドイツが今回の五輪出場権を勝ち取ることは難しかっただろう。

代表になるための手段として

 実は、このところケイマンのように、五輪に出場したいという思いから他国の国籍を取得する米国人選手が増えている。例えば、フィラデルフィア・セブンティシクサーズのサミュエル・ダレンバートは、カナダ代表として戦うために1年前にカナダ国籍を取得した(ただし、カナダは世界最終予選の準々決勝でクロアチアに敗れ、北京五輪出場は逃している。また、ダレンバートは大会途中にヘッドコーチともめ、チームを離脱している)。
 また、女子選手ではWNBAサンアントニオ・シルバースターズのガード、ベッキー・ハモンが米国代表として選ばれる可能性がほとんどないと判断してロシア国籍を取得、ロシア代表として北京五輪に出場することを決めている。これに対して、米国女子代表のヘッドコーチ、アン・ドノバンが「売国奴」とコメントし、米国国内でちょっとした論争を巻き起こしていた。
 ちなみに、ロシアは男子代表にも米国人でロシア国籍を取得したJR・ホルデン(NCAAバックネル大出身)がいて、彼の活躍もあって去年のヨーロッパ選手権で優勝、北京五輪の出場権を獲得している。

 ドノバンのように、他国の代表として“母国”の選手と戦うことに抵抗を示す米国人も多い。しかし、ケイマンらにとって、これは単に五輪に出る機会を選択したに過ぎず、母国を裏切っているというような大げさな感情はない。
「米国(米バスケットボール協会)からはこれまで何のアプローチもされたことがない。ただ夏にプレーしたかっただけのこと。そして、これがその手段だったというだけのこと」とケイマンは、ドイツ代表としてプレーすることを選んだ理由を語った。

 一方、受け入れる側の国でも、国際競争を勝ち抜くためにFIBAの規定で許可される帰化選手1人の枠を有効に利用しようという意識が強くなってきている。ルールの範囲内でのチーム強化である。国際化が進む世界の中で、国際試合も強力な援軍を獲得するFA時代に突入したというわけだ。冷戦時代のように世界が二分し、五輪ですら敵対する国として対決する場であった時代を考えると、世界の情勢、そして五輪という舞台にも変化が及んでいることがわかる。

 とはいえ、五輪という場が選手たちにとって特別な舞台であることは、今も昔も変わらない。
 かつて、ノヴィツキは五輪に対するこんな熱い思いを語っていたことがあった。
「五輪はどんな選手にとっても、まさに最も重要なことなんだ。五輪の開会式を、ドイツ・チームの一員として歩くことを想像しただけで鳥肌が立ってくる」
 ノヴィツキにとって10年越しのそんな空想も、まもなく現実となる。

<了>
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著者プロフィール

東京都出身。国際基督教大学教養学部卒。出版社勤務後にアメリカに居を移し、バスケットボール・ライターとしての活動を始める。NBAや国際大会(2002年・2006年の世界選手権、1996年のオリンピックなど)を取材するほか、アメリカで活動する日本人選手の取材も続けている。『Number』『HOOP』『月刊バスケットボール』に連載を持ち、雑誌を中心に執筆活動中。著書に『The Man 〜 マイケル・ジョーダン・ストーリー完結編』(日本文化出版)、編書に田臥勇太著『Never Too Late 今からでも遅くない』(日本文化出版)がある。現在、ロサンゼルス近郊在住。

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