連覇よりリベンジ――伊調馨、さらなる高みへ=女子レスリング連載第3回

宮崎俊哉

五輪連覇を目指す伊調馨。史上初の姉妹同時金メダルの夢へラストスパート 【スポーツナビ】

 北京五輪女子レスリングの試合まであと1カ月。伊調姉妹の“リベンジ”への長き戦いもいよいよラストスパートを迎える。まず8月16日の48キロ級に姉・千春が登場。63キロ級の妹・馨は翌8月17日、マットに上がる。
「北京でリベンジします」。五輪連覇より、4年前のアテネで果たせなかった「夢」を追い続けた金メダリスト。史上初の「オリンピック姉妹同時金メダル」へ向かって、姉とともに一直線に突っ走ってきた馨が、北京でさらなる高みを目指す。

馨を強くした5つの敗戦

日本選手団最年少の20歳でアテネ五輪金メダルを獲得 【写真は共同】

 2004年アテネ五輪、20歳で日本代表選手団最年少金メダリストとなった伊調馨(ALSOK綜合警備保障)が、北京でオリンピック2連覇に挑む。
 アテネ以降の戦績、ライバルとの力関係、体力的数値など、どれをとってみても、レスリングに限らず日本代表選手団全てのなかでも、馨より金メダルの可能性の高い選手はいないだろう。
 そんな歴史に名を残すような偉大なオリンピアンもまた、“負け”から学び、強くなっていった。世界で戦うようになってからここまで、「レスリング選手・伊調馨」を語る上で外せない5つの負けがある。

 まず初めは、2002年韓国・釜山で行われたアジア大会。馨は1回戦から快進撃を続け、3試合連続フォール勝ちで決勝戦に進出した。相手は、中国の許海燕。この試合に勝てば日本女子レスリング史上初のアジア大会金メダルだったが、「負けてはいけないという気持ちが強過ぎて」と、試合後本人が話したように決勝戦だけは違ってしまった。
 相手の様子を伺ってしまう悪い癖が出て、慌てて攻めては返され、攻めては返され、気がつけば1−6。それでも、第2ピリオドに入り本来の動きを取り戻した馨は、時間と戦うように攻め続け、必死に追い上げた。しかし、5−6、あと1歩及ばず銀メダル。
 女子レスリングが初めて採用されたアジア大会で、日本チームの先陣を任されたプレッシャー。しかも、当時18歳の高校3年生、自身初の国際大会ということを考えれば、大殊勲だったろう。だが、「金じゃないとダメなんです」と呟いた馨は表彰式でも笑顔を見せず、翌日、吉田沙保里、浜口京子が金メダルを獲得した後の日本チームの記念撮影では、カメラマンから頼まれても決して銀メダルを下げることはなかった。
 アテネ五輪後、馨は2年前を振り返って次にように語った。
「あの負けがなければ、1カ月後の世界選手権で初優勝することはできなかったし、今の自分はありません」

姉の負けは私の負け

 2つ目の敗戦は、世界チャンピオンとなった後の2003年3月、スウェーデンで開催されたクリッパン国際大会。姉・千春、山本聖子、京子の3人が優勝したなか、馨は世界選手権でフォール勝ちしたアメリカのサラ・マクマンに足元をすくわれ、まさかの敗退。試合後、自分に言い聞かせるにように、馨は言った。
「世界選手権で優勝して浮かれてました。まだまだです。もっともっと練習して、挑戦していかなくては」
 2007年5月、キルギルで開かれたアジア選手権。馨は現地入り後も左足の肉離れが治らず、やむなく棄権したため不戦敗となったが、このクリッパンで負けてから実質負けなし。連勝街道を驀進し、世界選手権・オリンピック合わせて6年連続世界の頂点に立ち続けている。
 ならば、あと3つの敗戦は?
 自らは敗れずとも、馨は姉・千春の負けを自分のことのように受け止め、強さに変えてきた。
 48キロ級のアテネ五輪代表選考レース、千春はライバル・坂本真喜子を全日本選手権では倒したが、クイーンズカップで敗れた。この姉の敗戦を境に、馨は大きく成長した。 代表決定プレーオフに向け、真喜子を姉・日登美がつきっきりで指導する坂本姉妹に対し、伊調姉妹は63キロ級代表に決まっていた妹・馨も自分の練習を犠牲にして、千春をマンツーマンで鍛え上げた。馨は真喜子だけでなく、その後ろにいる日登美の考え方、コーチングさえも徹底的に分析し、千春のテクニクックを細かくチェック。「焦るな! 大丈夫」と言い続け、試合前も「リラックスして戦えば勝てる」と励まし、二人そろってアテネ行きのキップをもぎ取った。
 クイーンズカップからプレーオフまでの50日間を、千春は「一番練習が楽しかった時期」と懐かしむ。妹は姉のがんばる姿、レスリングに対するまじめさに心を打たれ、姉は妹のレスリング・センス、分析力、プラス思考を尊敬した。この間に、姉妹の絆がさらに深まり、改めて二人で子どもの頃からの大きな夢を追いかける気持ちが固まったに違いない。

 そして、迎えたアテネ五輪、48キロ級決勝。2−2の同点ながら消極性を取られたパッシーブの差わずか一つで銀メダルに終わった千春の試合が、馨が学んだ4つ目の敗戦となった。馨を変えたのは、ほかならぬ千春であった。
 返されるのが怖くて攻め込むとができなかった千春は、この悔しさだけは妹に味合わせたくないと、表彰台からアップ場に駆けつけると、馨の両肩をつかんで言った。
「勇気を持って戦うんだよ」
 姉の敗戦を知り、呆然としていた妹はその一言で立ち直った。宿敵サラ・マクマンに前半0−2とリードされながらも、姉からもらった勇気を持って攻め続け3−2と逆転。見事金メダルに輝いた。

二人だから負けない!

姉の千春(右)とともに走り続けてきた 【スポーツナビ】

 5つ目は、姉妹にとって最後の敗戦である。アテネ翌年の2005年、本来の51キロ級に戻していた千春は、代表決定プレーオフで坂本日登美に敗れ、世界選手権出場を逃してしまった。大会前、「千春のために戦います」と決意を語った馨は、姉に頼ることなく精神面での強さも発揮。新ルールにも対応し、突け入るスキすら与えぬ完璧なレスリングで全試合完封勝ち。もぎとった金メダルを姉に差し出して言った。
「また二人でがんばろう!」
 千春も表彰台に上がった妹を見て、誓った。
「カオリンが聞かせてくれた君が代を聞いて、大きなプレゼントをもらったような気がします」
 この日から、最強姉妹は一直線に突っ走ってきた。2006年、2007年、2年連続世界選手権姉妹同時優勝を果たし、北京に挑む。

 金メダリストでありながら、馨は「北京でリベンジします」と決意を語り、アテネで叶えられなかった金メダル以上の大きな夢に向かって燃えている。貪欲に新技術の習得に取り組み、これまでの“ラスト30秒の馨”から開始30秒で3−0にする“ニュー・馨”へのモデルチェンジも狙っている。北京五輪金メダルに一番近い選手、伊調馨の進化は止まらない。
 目指すは、史上初の「オリンピック姉妹同時金メダル」。日程的には、8月16日まずは千春が登場。馨は翌8月17日マットに上がる。
 馨は言う。
「目の前で千春が優勝してくれると、自分も優勝したいという気持ちに勢いがつく」
 今度は敗れた姉ではなく、金メダルを奪取した姉から貰った勇気を武器に、妹は必ずや2連覇を達成するだろう。千春と馨、二人なら、夢は叶えられる。二人だから、負けない!
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