中西悠子が北京で目指す最高の泳ぎ、最高の笑顔
3回目の五輪を控えた中西悠子。果たして、北京では「最高の笑顔」を見せることができるのか!? 【Photo:Atsushi Tomura/アフロスポーツ】
ブロンズコレクターからの脱却
200mバタフライを主戦場とする彼女は、2000年シドニー五輪で7位入賞した後、01年世界水泳福岡で4位となり、03年世界水泳バルセロナでは国際大会で自身初の銅メダルを獲得。その勢いで、04年アテネ五輪でも銅メダルを獲得しました。
アテネ五輪後は引退がささやかれていましたが、「まだ記録を伸ばす自信はある!」と断言し、現役続行を決意。05年世界水泳モントリオールでは、またも銅メダルを獲得し、世界大会で3年連続銅メダル獲得という勝負強さをアピールしました。その一方で、「ブロンズコレクター」と彼女自身が皮肉るように、「銅メダルは、もういらない」という強い気持ちで、さらにいい色のメダルを目指すようになっていくのです。
その転機となったのが、05年世界水泳。銅メダルを獲得したレースの直後から、彼女の新たな挑戦が始まりました。
世界水泳での銅メダルという成果を残したものの、不安が彼女を締め付けました。二人三脚で世界を目指してきた太田伸コーチはレース終了直後、冷静に分析し、クールダウンをする彼女に告げました。
「このままでは、世界から取り残される。絶対的なスピードが違いすぎる。大幅なフォーム改革が必要だ」
優勝した選手のタイムは2分05秒61、2位は2分05秒65、そして中西選手は、2分09秒40で3位。上位2名と約4秒も開いたタイム差に、このままでは世界と戦うことが難しい、と判断したのです。05年モントリオールの地で、二人は大きな決断と覚悟を決めました。
フォーム改革を乗り越えての銀メダル
今までは、体を上下に動かし、体重移動を繰り返すことで、水の中をうねるように進んでいました。目指すのは、より水の抵抗が少ないフラットな泳ぎ。上下に動かしていた体の動きを、できる限り小さくし、水の抵抗を少なく、水面を跳ねるように進む、アメンボのような泳ぎを目指していました。抵抗が減ることで、体力が温存できる利点に加え、スピードアップというメリットも生まれてくるのです。
世界トップ選手のほとんどが取り組んでいる抵抗の少ない泳ぎをするには、今まで以上の筋力が必要でした。上半身の筋力アップ、特に背筋力の強化は、必要不可欠でした。そのため、水中練習に加え、ウエートトレーニングの量や質を高め、コツコツと積み上げていったのです。今まで以上に、腕や背中、そして首が太くなっているのが、目に見えて分かりました。
しかしフォーム完成までに、中西選手は、悩み、不安に陥り、何度も涙を流したと言います。このまま泳ぎが完成しなかったらどうしよう、泳ぎの感覚が悪いままだったらどうしよう、と自問自答の日々を過ごしてきました。しかし、苦しく厳しい時間を乗り越え、1年後の夏には、今までよりも抵抗の少ないフォーム、そしてスピードを手にすることができたのです。
06年パンパシフィック選手権(カナダ・ビクトリア)では、自身の持つ日本記録を1秒47更新する、2分06秒52で銀メダル獲得。レース後、何度もガッツポーズをする中西選手の姿。その目には涙があふれ、やってきたことが間違いでなかったと証明した瞬間でした。