ただ強さを求め――伊調千春の流儀=女子レスリング連載第2回
アテネ銀で「こんなメダルなら欲しくありません」
表彰台に上がっても、唇をかみしめ、憮然とした表情を続ける千春。
「応援していただいた多くの方々に申し訳ない。こんなメダルなら欲しくありません」
テレビのインタビューにそう答え、一部ではバッシングも受けたが、彼女をよく知る人なら「千春らしい」と納得したことだろう。現状に満足せず常に上を目指してきた、この負けず嫌いがあったらからこそ、千春は北京五輪で金メダル候補に挙げられるトップ・アスリートになることができたのだ。
4歳上の兄・寿行の影響で5歳からレスリングを始めた千春は、チビッ子レスリングで頭角を表し、中学では全国大会で活躍するほどの選手に成長していた。高校は中学3年のときにJOC杯ジュニアオリンピックで敗れた選手がいるという理由で、青森県八戸の実家から遠く離れた京都・網野高校に進学。強豪校で鍛えられ、高校選手権2連覇をマークしたが、千春はそんなことでは少しも喜んでいなかった。同じ部で練習する同級生の正田絢子が17歳で世界チャンピオンとなったのを見て、「いつかは自分も世界で戦える選手になる」と誓った。
私が頑張れば2人の夢は叶う
同郷で子供の頃から何度も対戦し、いつも勝っていたのに、高校3年からは3連敗。しかも、大学2年のときの2001年ジャパンクイーンズカップでは0−10のテクニカルフォール負けを喫した1学年上の坂本日登美(自衛隊体育学校)がいたからだった。
「このままでは日登美に勝てない」
千春は、なんとライバルを鍛え上げた大学に飛び込んでいったのである。2002年千春と馨は、姉妹合わせて7度も世界選手権で優勝を飾っている山本美憂・聖子も成し遂げられなかった世界選手権姉妹同時出場を果たした。馨は優勝したが、千春は決勝戦、延長の末に敗れ2位となり、姉妹同時優勝は逃したが、姉妹でのメダル獲得は偉業である。だが、というより案の定と言ったほうがいいか、千春はこの結果に満足しなかった。さらに厳しい練習を重ね、2003年には、ついに世界選手権姉妹同時優勝を達成した。
そして、迎えた2004年。千春はプレーオフにまでもつれ込んだ、坂本真喜子(中京女子大附属高)との過酷な同門対決を制し、馨とともにアテネ五輪に出場したが、結果は冒頭の通り。馨は金メダルに輝いたが、姉妹の夢は持ち越された。
千春は、馨に全幅の信頼を寄せている。妹ながら、「最も尊敬する選手」とさえ断言する。
「レスリングがうまく、ズバ抜けたセンスを持っているのはもちろん、自分には決してマネもできないプラス思考。オンとオフの切り換えも速く、やるときはやるが、やらないときはやらない。いい意味で自分を休ませて、休むことも練習なんだとわかっています」
北京五輪でも、馨は間違いなく2連覇する。千春はそう信じている。だからこそ、「自分が頑張ればって金メダルを獲れば、二人の幼い頃からの夢は叶う」と確信している。
頂点を目指し1歩1歩確実に
それが、伊調千春の歩んできた道。彼女の生き方だ。オリンピックでも同じこと。2度目となる今度こそ力を出し切り、満足できる成績を残してくれるだろう。
頂点はもう、そこまで迫っている。
あと残り、わずか。これまでやってきたように、たった1段だけ上がれば、史上初の快挙「オリンピック姉妹同時金メダル」の夢が実現する。
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