歴史に名を残したアラゴネス
1938年生まれのホセ・ルイス・アラゴネス・スアレスは、今大会の監督16人中で最高齢だった。アラゴネスは50年代後半にレアル・マドリーの選手となったが、当時のレアルは史上まれな強力なチームで、彼は1軍ではなかった。そこでいくつかのチームに貸し出されたあと、オビエドとベティスでプレーし、最終的にはアトレティコ・マドリーで活躍の場を見いだした。アラゴネスは、10シーズンで265試合に出場し、123ゴールを挙げた。
アトレティコ時代のニックネームは“サパトーネス”。大きな靴という意味だ。アラゴネスはFKのスペシャリストで、よく得点を取ったからだ(70年にはリーグ得点王)。現役を退いてから、監督としてのキャリアをスタートしたのがアトレティコというのは自然の流れだが、その後はリーガ・エスパニョーラで12回もクラブ監督を務めた。ただ、ほとんどのチームで指揮を執ったにもかかわらず、レアル・マドリーの監督にはならなかった。
2004年、アラゴネスがスペイン代表監督に就任したときの目標は、何らかのタイトルを獲得することだった。また、レアル・マドリーとバルセロナの敵対関係に終止符を打つこと。そのためにアラゴネスは50人もの選手を招集しながら、ラウルとエルゲラを呼ばなかった。グティについては、かなりはっきりと拒絶していた。
「グティは、彼のポジションで最高の選手ではない。私の下にいる選手より優れているわけではなく、はっきりいえば全く必要ではない」
問題はラウルだ。リーグの得点王も取ったことがあり(1998−99シーズンと2000−01シーズン)、ずっと代表のエースだった。繰り返されるメディアからの質問にうんざりしたのだろう。アラゴネスはこう答えている。
「ラウルのいるスペインは、何回ワールドカップで優勝した? ゼロだ!」
「私はラウルをよく知っている。でも、彼を呼ばないのは彼が一番ではないからだ。私は選手と友だちになるために監督になったのではないし、メディアに降参するためでもない」