愛され、敗れ去ったビリッチ=クロアチア 1(1PK3)1 トルコ

才能を信じて得た3連勝

PK戦で1−3でトルコに敗れて頭を抱えるV・チョルルカ(5)らクロアチアの選手たち=20日、ウィーン 【REUTERS】

 ビリッチの代表監督としての経験は浅いが、彼の才能とリーダーシップの高さはユーロ予選と本大会で十分に証明された。専門家、ジャーナリスト、さらにクロアチア大統領にさえも耳を貸さず、誰の言いなりにもならない一貫した姿勢を見せた。
 そのことが如実に表れたのが、初戦のオーストリア戦で勝利を飾って、迎えたドイツ戦だった。メディアや専門家の中には、オーストリア戦のメンバーから2、3人ほど選手を入れ替えて、守備的な戦術を採るべきだという意見が飛び交った。
 しかし、ビリッチは自分の本能をかたくなに信じた。唯一のメンバー変更はFWのペトリッチに代え、若いラキティッチをメンバーに加えたこと。フォーメーションは4−4−2から4−4−1−1と変更した。この結果、クロアチアは強豪ドイツ相手に見事な勝利を飾り、決勝トーナメント進出を決めたのである。

 ビリッチは続くポーランド戦で、控えメンバー中心の“リザーブチーム”で試合に臨むつもりでいた。しかし、クロアチアサッカー協会のブラトコ・マルコビッチは「リザーブチームで試合に負けたら、チームの雰囲気が悪くなる」と懸念し、戦力を落として試合に臨むことを危惧(きぐ)した。しかし、ここでもビリッチは自分の考えを信じた結果、クロアチアはグループリーグ3連勝を飾ることになった。

悲劇を味わったビリッチの未来は?

 結局、クロアチアは準々決勝でPK戦の末トルコに敗れ、ユーロの舞台から去ることになった。クロアチアの結末は、ビリッチにとって“ハッピーエンド”ではなかったが、トルコ戦で見せた彼のさい配は評価に値する。チーム戦術も選手交代も見事に的中していたし、トルコの名将ファティ・テリムのサッカーを出し抜くほど魅力的なサッカーを披露した。トルコに試合の主導権を握らせず、正確なロングボールを武器にトルコGKのリュシュトゥ・レチベルを脅かした。

 一番の敗因を挙げるとするなら、ゴール前の決定的チャンスで得点を奪うことができなかったことだ。ユーロのような大会で、さらに言うなら準決勝進出を懸けた重要な試合で、クロアチアは幾度もシュートを外し続けた。
 結局、延長後半14分にクラスニッチがヘディングシュートを決めたが、その後のロスタイムには、セミヒ・シェンテュルクにまさかのゴールを奪われ、試合はPK戦に持ち込まれた。

 最後はトルコが勝利を祝う結果となった。今回の試合を見て、私はあらためて思う。勝利と敗北、そして幸せと悲しみの間には、薄い紙切れほどのものしかない。トルコは準決勝進出に値しないチームだと誰も言えないし、PKを外したモドリッチ、ラキティッチ、ペトリッチを誰も責めることはできない。

 クロアチアにとって、スタジアムのペナルティースポットは白から黒へと色を変えた。今後の行き先は、準決勝が行われるバーゼルからザグレブへ変わった。
 クロアチアが仮に0−0のスコアからPK戦で負けていたら、ビリッチは“敗北”を乗り越え、新たな成功を目指すべく、クロアチア代表監督としての道を歩み続けることは間違いなかった。しかし、この逆転劇を演じられた後では、どれだけベンチに座っていられるのか気にかかるのが正直な気持ちだ。
 それは、クロアチアが準々決勝で敗退したからではない。プレミアリーグやブンデスリーガのクラブなどが、非常に興味深い監督としてビリッチに一目置き始めているからだ。近い将来、イングランドやドイツの地で、彼の姿を見られても全く驚きではない。

<了>

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著者プロフィール

1961年2月13日ウィーン生まれ。セルビア国籍。81年からフリーのスポーツジャーナリスト(主にサッカー)として活動を始め、現在は主にヨーロッパの新聞や雑誌などで活躍中。『WORLD SOCCER』(イングランド)、『SID-Sport-Informations-Dienst』(ドイツ)、日本の『WORLD SOCCER DIGEST』など活躍の場は多岐にわたる

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