孤独な老将は夢を見る

小宮良之

スペインが内包するさまざまな狂気

 スペインという国は、「複合民族国家でそれぞれの地方がいがみ合い、一つになれない」としばしば説明される。いわば、中国と韓国と日本が一つの国を形成するかのごとく複雑な国家と言うべきか。1970年代まで約40年間、マドリーは独裁軍事政権の総本山で、各民族を弾圧した経緯もあり、今も遺恨は残る。クラブチームはその恨みを燃やし、ファンは試合を楽しむ材料にしている。
 しかし一方、代表において、わだかまりは亀裂となり、一体感は生まれず、選抜チームにしかならない。

 代表チームはあえて地方スタジアムで巡業を行うが、それは例えば、バルセロナで代表戦を開催しても集客が望めないという事情がある。そもそも、代表の感覚がスペイン人には欠けており、カタルーニャ、バスク、ナバーラ、ガリシアなどの各地域は、それぞれが“代表”を結成し、毎年、各国代表チームを招いて試合を開催(ユーロ前にもカタルーニャはアルゼンチン代表を招待)。英国におけるスコットランドなどのように、代表チームとしての国際大会出場を要求しているのだ。

 僕はバルセロナで暮らす中で、敗北するスペイン代表にほくそ笑む人々の姿を目の当たりにした。憎悪、敵意、嫉妬(しっと)……。それらはフットボールを楽しむ“スパイス”で、その味付けによってリーガは活況を呈する。しかし、代表チームにおいて、スパイスは“毒薬”に変質する。
「自分はカタルーニャ人でスペイン代表としてはプレーしない」と公言するバルサのDFオレゲルは過激な例として、ある元代表選手が「わだかまりを捨てることはできなかった」と告白したように、チーム内に決死の覚悟で戦う雰囲気は生まれにくい。

 なぜ、無敵艦隊はベスト8で敗れるのか。それは、あるいは浸水した船体が走行もままならず、それ以上の過酷な戦いには耐え切れないのかもしれない。どれだけきらびやかで迫力があり、勇ましい艦隊であっても、水漏れした戦艦は沈没する運命を背負う。

運命を委ねられた老将に、神風は吹くのか

「私は予言者ではないが、スペインの優勝を信じる。自分たちが信じなければどうして実現するだろうか」
 ユーロ閉幕後、代表監督の座から降りることが決まっているアラゴネスはうそぶく。アトレティコ、バルサ、マジョルカなど7つのチームを率いた男には、確かに信念を貫く強さがある。2006年秋に幕を開けたユーロ予選は、序盤に2連敗、「どうしてやめないのか」と一斉に記者たちからたたかれたが、彼は「おまえたちに何を言われようと私は辞めない」とぶぜんとしてその職に居座り続けた。

 そして老将が率いる代表は、2007年に入ってから今日まで無敗を誇っている。
 アラゴネスはスペインの弱点も長所も知り尽くし、今大会に挑もうとしている。攻撃的性格を持ったDFが多く、守備面に脆さがあると見越し、「攻撃は防御なり」とバルサのシステムをアレンジ。中盤での高い支配力を武器に、あくまでボールキープありきで戦う4−1−4−1布陣を確立した。直前の親善試合では、フランス、イタリアというドイツワールドカップのファイナリストを敵に回しながら、ボール所有率で優位に立ち、共に1−0で勝利している。

 メンバー発表前、「調子を上げたラウルを呼ぶべき」と日和見的待望論を展開するマスコミに対して、「俺はおまえたちよりサッカーを知っている」と毒づいた男には、すでに背水の覚悟ができている。
「自分はフットボールのためにだけ生きてきたし、それ以外は何もできない男だ。だからベンチで死ぬのが本望だと思っている」
 スペイン無敵艦隊の船長の舵(かじ)取りを委ねられた老将に、神風は吹くのか。たとえ亀裂を抱えた船団であっても。
 欧州一を争う海戦は間近に迫っている。

<了>

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著者プロフィール

1972年、横浜市生まれ。2001年からバルセロナに渡り、スポーツライターとして活躍。トリノ五輪、ドイツW杯などを取材後、06年から日本に拠点を移し、人物ノンフィクション中心の執筆活動を展開する。主な著書に『RUN』(ダイヤモンド社)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)、『名将への挑戦状』(東邦出版)、『ロスタイムに奇跡を』(角川書店)などがある。

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