落日の赤い悪魔 中田徹の「オランダ通信」
求められる新たなスタイル
ベルギーの場合、ドイツ語も公用語であるが、一般的には大きくオランダ語圏とフランス語圏に分けられる。北に位置するオランダ、南に位置するフランスはともにユース選手育成でユニークなシステムを持っている。つまり、ベルギーは南北に参考になる国を持っているわけであるから、早くベルギーのスタイル作りに取り組んだ方がいいだろう。
さし当たっての希望はユースチームである。来年の夏、オランダでユースのユーロが行われるが、これは北京オリンピックの予選を兼ねている。ベルギーはこれに将来を懸ける。デ・ムル(アヤックス)、マルテンスと期待の選手はいる。A代表に入っているコンパニー(ハンブルガーSV)、ファンデン・ボレ、デンベレ(AZ)という選手を借り、オリンピックを目指すという策もあり得る。逆にA代表に若い血を注入するため「デ・ムルやマルテンスをA代表に呼ぶべき」という声もある。
忘れがたき過去の栄光
個人的に言えば、多感な時期を1980年代に過ごしているだけに、ベルギーにはオランダ以上の強烈な記憶がある。82年のW杯スペイン大会、開幕戦で前大会王者アルゼンチンをカウンターとオフサイドトラップで沈め、86年のW杯メキシコ大会では3位になった。いずれも欧州予選ではオランダと戦っている。中でも85年11月20日、メキシコW杯出場権を懸けたプレーオフ第2戦ロッテルダムでの試合は伝説(第1戦は1−0でベルギーが勝利)。オランダが2−0とリードし、オランダのサポーターがお祭り騒ぎを始めたが、82分にギュルンがヘディングシュートを決めた瞬間、スタジアムはシーンと静まり返ったという。ベルギーは、ギュルンが決めたアウエーゴールがものをいい、本大会出場を決めた。
このギュルンのゴールシーンは、過去の栄光としてベルギーサッカー協会内に写真が飾られている。88年、オランダはユーロで優勝したが、80年代の『低地国ダービー』の主はベルギーだったのである。それだけに今のベルギーサッカーは寂しい限りだ。
さらにポーランド戦から2日後、ショッキングなニュースがベルギーから飛び込んできた。78年からベルギー代表のメーンスポンサーを務めてきた銀行・ファイナンス会社デキシアが今年の12月31日で契約を打ち切ると発表したのだ。デキシアのスポーツコンプレックス(クラーイネン)を練習場として使うことはもうできない。今年に入りプジョー、コンチネンタルという優良スポンサーがすでに契約を解消している。
練習場の件は、すでにベルギーサッカー協会が自前の練習グランドをトゥベーケに持っているからいいが、金銭面では大打撃。今期の決算は協会史上初めて赤字転落が見込まれる。
ベルギーはこれまで確実にビッグトーナメントに参加していたから、スポンサーにとって巨額のお金をつぎ込むだけの価値があった。しかし、欧州予選に負けてばかりいては、顧客を本大会に招待する機会がなくなるなど“うま味”がなくなってしまった。
今のベルギー代表の状況ではなかなかスポンサーを探すのは難しいが、11月から新しくスポンサーのひとつになった起亜自動車ベルギーが、メーンスポンサーになることに興味を示しているという。
起亜の自動車がスタジアムの玄関正面に派手に並べられたブリュッセルの試合は、まさに事件の現場だった。
<この項、了>