ベッカムとオーウェン――“象徴”の復活 東本貢司の「プレミアム・コラム」

東本貢司

“ハート”を示したブラジル戦

ユーロ予選、オーウェン(中央)のゴールを祝福するベッカム(左)とテリー。イングランドは3−0でエストニアに快勝した 【 (C)Getty Images/AFLO】

 まだ、芝がしっかりと根付かないニュー・ウェンブリーのブラジル戦は、双方ともに戦術面も含めて評価する要素は少なかった。だからこそ、この試合は“ハート”の見せどころだったのであり、新たな歴史を刻む立場にあったスリー・ライオンズにとっては、ファンの手前も、ハートを見せつけなければならなかった。そして、ベッカムはその渦の中心にいた。その点を十分に認めなければ、何も語れないし、何も始まらない。

 この期に及んでもまだ、もしエストニア戦で勝利を収められなかったらマクラーレンの立場が“危ない”とうそぶく人々は、およそ目が曇っているとしか思えない。さもなくば、あえて不遜な言い方をするが、進化し続ける中でのこのスポーツの本質に気づいていないのではないか。それが言い過ぎなら、目を向けようとしていないのではないのか?

 ブラジル戦で示したハートは、より実りある形でエストニア戦に生かされた。いくつかあった“危なっかしい”シーンなど、どんなチームにでも起こり得る。格下相手の場合にありがちな、なかなか吹っ切れないもどかしさを断ち切ったのが“ジョーカー役”のジョー・コール(空中戦を競り勝ったクラウチを含めて)だったのも、ピタリとはまるパズルのピースなら、おそらくベッカムにしかできない魔法のクロスからクラウチ、そして待望のオーウェンがゴールを決めたのも同様。そこには、頭でっかちな“机上の戦術”らしいものは何一つない。記憶に残るゲーム、感動を呼ぶ試合とは、そうして生まれるものだ。

 批判はもちろんだが“その逆の評価”をする場合、後からなら何とでも言い繕える。ベッカムがいるとどうしてもロングボール主体の戦術になる、だからアーロン・レノンのようなドリブラーが必要だ、それが進化、改善というものだ……そういう“見た後”の所感をのたまわった同じ口から、ベッカムがいると一気にチャンスが作れる、レノンのようなタイプは終盤のここぞというときのジョーカーに取っておくのが至当……と、“見た後”の感想がまことしやかに述べられる。そんな、お気楽な“手のひら返し”が、今、大方の評論傾向になっていないと果たして言い切れるだろうか。

エストニア戦は新たな出発点

 ランパードに関して、筆者はずっと以前からジェラードとの併用に疑問を呈してきたが、これは実際にやってみるまでもなく、おおよそ推測できたことだと思っている。論点はたった一つ。二人とも中盤の底のタイプではないからだ。どちらかが上がればどちらかが下がってバランスを取るという切り替えがスムーズにできないのは、能力うんぬんの問題ではない。分かりやすく言えば、二人とも“そういう戦術”にしっくりこない、いわゆるフリーマンの立場でこそ、力を最大限に発揮する。チェルシー、リヴァプールの試合をじっくり観察していれば誰でもすぐに分かることだ。一方のハーグリーヴズは、かつてのインス、バティーのように、その“対極”に当たる「底専門」のプレーヤーと考えればいい。

 そして、ここが肝心な点だが、ベッカムは基本的にワイドポジションにいながら、その両方を兼ね備えられる存在なのだ。これとてユナイテッド後期から現在のレアルにかけての彼のプレーを思い起こせばすぐに納得がいくはずである。ロングクロスのスペシャリストならば当然のはずが、やっと今になって彼の「視野の確かさ」が言葉にされるようになったのもため息ものだが、おそらくは正確無比なアーリークロスとFKのイメージががちがちに張り付いてしまっているせいなのだろう。いずれにせよ、これで“多方面”から見直されるのであれば、こんな詮無い愚痴をこぼす必要もないのだが。

 エストニア戦が完璧だったとは言わない。そもそも完璧な試合などあるはずがない。それでも、今後に向けてまたとない貴重な、地に足が着いた出発点だと位置づけて間違いないはずだ。ランパードの処遇、ハーグリーヴズが戻ってきたときにどうするかなども、むしろ今後への楽しい課題だと考えればいい。そして、真打ち“不ぞろい”だったDFはまだ再評価に値しないことも確認しておこう。それらについては、9月直前であらためてじっくり触れる機会を持ちたい。そう言えば、9月の日本は台風の季節。例年通りとなるのか、昨今の異常気象がそれを裏切るのかは分からないが、イングランド代表の9月はイスラエル以下を粉砕するに足る、台風のごときさらなる進化を期待したいものである。

 エストニア戦で忘れられない(うれしい)ことをいくつか。途中交代で出たダウニングがめっきり頼もしく見えた。先発でもいいが途中からでも、ベッカムに集中しがちな起点を“左”に作る確実な戦力として見直したい。そして、どうやら体調が全盛期に戻りつつあるオーウェンは、けなげなほど縦横に、ベッカムの意図をすべからくくみ取ったように彼のパスを受けるスペースに飛び込んでいた。そのきずな、帰ってきた喜び、そして、二人でチームを盛り立てようとする献身には胸が熱くなる思いだったことをお伝えしておく。願わくば、二人の物語が来年のスイス−オーストリアにまで受け継がれんことを。

<この項、了>

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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