鬼軍曹のいぬ間に 市之瀬敦の「ポルトガルサッカーの光と影」

市之瀬敦

誤算だった9月の2試合

ドラグティノビッチに左ストレートパンチを繰り出したスコラーリ監督(中央)。その代償は高くつくこととなった 【Photo:Atsushi Tomura/アフロスポーツ】

 すでにカレンダーを破り捨ててしまったという方には恐縮だが、9月に行われたポルトガル代表のゲームから話を始めたい。先月8日と12日にポルトガル代表は、リスボンでポーランドとセルビアを相手にユーロ(欧州選手権)2008予選の2試合を戦った。いまさらおさらいも不要かもしれないけれど、念のために確認しておくと、ポーランドとは2−2、そしてセルビアとは1−1の引き分け。ポルトガルは、ユーロ予選で3試合連続の引き分けとなったのだった。
 私の勝手な命名だが、「オペラサゥン・リズボア」(リスボン作戦)の目的は、言うまでもなく「勝ち点6」を挙げることだったはずである。昨年、ユーロ予選が始まる前に、スコラーリ監督が掲げたのは、ホームで確実に勝利し、アウエーで引き分けるというもの。つまり勝ち点「28」で予選突破を果たすプランだったのだ。

 しかし、昨年10月にアウエーで行われた対ポーランド戦でまさかの敗北を喫するなど、ポルトガル代表はどうも本来の実力を発揮できないまま、予選を1年間にわたり戦ってきた感がある。だからこそ、予選突破に向けて大きなライバルとなるポーランドとセルビアをホームに迎え撃つ2試合では、2つの勝利が求められたし、スコラーリ監督や選手たちもそれを強く望んでいたはずだった。

 さて、まずは9月8日のポーランド戦。ルース・スタジアムには4万5000人の観衆が集まったが(それしか集まらなかったとも言える)、そのうちの7000人がポーランドサポーターだった。彼らはスタジアムに向かう地下鉄の中で、大声で応援歌を奏で、ポルトガル人サポーターを圧倒していた。その差がピッチに反映されたのかどうか分からないが、先制点は体格で勝るポーランドだった。
 もちろん、サッカーの実力で勝る(と思う)ポルトガルも後半に入るとすぐに反撃。交代出場したクアレズマの活躍もあり、2−1といったんは逆転劇を演じて見せた。だが、勝利を確信するのが早すぎたのかもしれない。スタジアム全体が弛緩(しかん)した空気に包まれた中、終了2分前、ポーランドのクルジノベクがイチかバチかのミドルシュートを決めてしまった。

 それまで屈強のポーランド人FW陣を相手に空中戦で負けていなかったブルーノ・アウベスとフェルナンド・メイラの2人のセンターバックは、ドリブルを試みたクルジノベクのマークの受け渡しに、おそらく一瞬の迷いが生じたのだろう。低い弾道の正確なシュートを許してしまった。しかも、GKリカルドも油断していたのではないか。本来の彼ならゴールの外にはじき出すことができたはずのシュートを、枠の中に入れてしまった。ポストに当たって跳ね返ったボールが後頭部をなでてゴールインとは何とも不運だが、集中を切らしたことへの罰とも言えるだろう。これでポルトガルは勝ち点2を早々に失った。
 12日のセルビア戦もスコアこそ違うが、同じフィルムの繰り返しのような展開。すなわち、終了間際にまたしても同点ゴールを許してしまったのである。私は最悪でも1勝1分けを予想していただけに、2試合2分けという現実は何とも受け入れ難かった。

「パンチ」の代償

 だが、最悪の現実は試合が終わってから起こった。しかもサッカーとは別の形で。セルビアのDFドラグティノビッチの挑発に乗ったスコラーリ監督が、同選手の顔めがけて左ストレートパンチを繰り出したのだ。さすが「軍曹」(サルジェンタゥン)とあだ名される人はやることが違う、などと感心してはいけない。幸い、相手の反射神経が勝り(さすがはプロのアスリート!)、直撃せずにはすんだが、報復攻撃の意図は明白だった。
 当初は「パンチ」を否定したスコラーリ監督だったが、テレビ映像に決定的な瞬間を撮られてしまっては、反論のしようがない。すぐに報復行為を認めたのだが、その後の対応は素早かった。翌日には国営放送RTPの特別番組に出演、(ポルトガル)国民に謝罪したのである。このあたりの振る舞いはさすがメディアコントロールに長けたスコラーリ監督という印象を受けた。

 とはいえ、それで幕が下りたわけではない。UEFA(欧州サッカー連盟)がスコラーリ監督に4試合のベンチ入り停止処分を言い渡しただけでなく(スコラーリ監督による提訴の後に3試合の停止となった)、ポルトガル国民の間からは監督更迭を求める声も聞こえ始めたのだ。
 思えば、タイミングも悪かった。今季FCポルトからレアル・マドリーに移籍したブラジル出身のDFぺぺはポルトガル国籍を取得したばかりだったが、さっそく9月の試合のために代表招集されていた。4年前のデコの時もそうだったように、今回もやはりポルトガル国民から強い反発が起こり、スコラーリ監督の選手起用に疑問符が付されていたのである。「ポルトガル代表とはブラジル2軍のことか?」そんな声さえ聞かれた。
 さらに追い打ちをかけるように、9月末にはジョゼ・モリーニョ監督がチェルシーを去り、「モリーニョを代表監督に」の声も盛り上がった。もっとも、モリーニョ監督はスコラーリ監督に対する礼を失することなく、すぐさまポルトガル代表監督就任は現時点では考えられないと公言し、火種を消してしまった。

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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