小倉前監督の“失敗”はなぜ起こったか いばらの道となった新米指揮官の挑戦

今井雄一朗

7カ月余りで幕を閉じた小倉GM兼監督の挑戦

8月23日に休養が発表され、小倉隆史GM兼監督の挑戦は7カ月余りで幕を閉じた 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 理想を追い、選手を信じた43歳の新米指揮官が勝てなかった理由は、シンプルに言えば監督としてのスキルが未熟だったからだ。だが、その未熟さの本質はといえば、詰まるところは誤算の集積だったとも言える。8月23日に休養が発表され、7カ月余りでその幕を閉じた小倉隆史GM兼監督の挑戦は、新人には厳しすぎるほどのいばらの道だった。

「オレたちが与えているのはベースと方向性だけで、試合になったら大事なのは『勝つこと、ゴールを取ること、ボールを奪い返すこと、この原則を忘れるなよ』とだけ。そこに付け加える面白さを生み出すのが、選手にとってのサッカーの醍醐味(だいごみ)でしょう?」

 小倉前監督はたびたびこうした内容のコメントを残し、一言で要約して「サッカーをすること」と表現した。確かに、ひとつとして同じ場面がないと言われるピッチ内の“闘争”においては、状況を理解し、解決法をその場で生み出していく力が選手には不可欠だ。チームとしての基本的な戦い方の上に個の判断を上乗せし、柔軟性をもって戦う。それは小倉前監督にとっては自らの現役時代に当たり前のようにやってきたことであり、新時代の名古屋グランパスにとって必要なことだったのだろう。だが、サッカーを“させる”ための指導者としてのスキルを、新人監督は十分に持ち合わせていなかった。

 名古屋が低迷した要因の1つに、選手の能力が十分に生かされなかったことがある。例えば、今シーズン序盤戦で見せた前線からのプレッシングとショートカウンターは、現有戦力の特徴がうまくかみ合った素晴らしい戦術だった。シモビッチが1stステージだけで9得点を稼ぎだしたのも、純粋にフィニッシャーとしての仕事に集中できたからだ。さらに得点が重なればFWは気持ちよく守備にも走るため、序盤戦のシモビッチは走行距離が10キロを超えることも珍しくなく、199センチの長身ストライカーとしては驚異的な活動量をもってチームを助けてもいた。

 プレシーズンから不安視されてきたチーム全体の体力面についても、この戦い方を続けていけばゲーム体力として増強できたはずで、効率重視のコンパクトなトレーニングとのバランスも取れたのではないかと今にしては思える。

 右サイドバックとして獲得した古林将太を一列前で起用し、そのモビリティー(小倉前監督の表現で「動き出し」の意)とクロスの質を攻撃面でフル活用したのも起用法として当たり、イ・スンヒに後方支援を任せた田口泰士は2列目の選手かと思うくらいの高さでボール奪取を繰り返した。永井謙佑や古林、シモビッチらが繰り出す強烈なショートカウンターは、守備の負担も全体としてみれば軽減しており、この時期のチームを古林は「『このチーム、強え!』って思っていました」とため息とともに振り返る。

ビルドアップ重視へと傾き、狂い始めた歯車

歯車が狂い始めたのは、指揮官が戦い方にさらなるバリエーションを付加しようと試みた、3月27日のナビスコカップ予選リーグの湘南ベルマーレ戦からだった 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 その好循環の歯車が狂い始めたのは、指揮官が戦い方にさらなるバリエーションを付加しようと試みたことからだった。3月27日のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)予選リーグの湘南ベルマーレ戦。この試合で小倉前監督は「これまでのことを踏まえてビルドアップもちゃんとやっていこう」と選手たちに指示を出し、より多彩なオフェンス力の獲得に乗り出した。

 ただし監督からしてみれば、必要な状況になった時にはちゃんとやろう、といった程度の指示だったのだが、その思いとは裏腹に、選手たちの意識は一気にビルドアップ、ポゼッション重視へと傾いてしまったのが誤算だった。前からボールを奪いにいき、ゴールから逆算した最短距離をいく攻撃を展開していた選手たちは、後方からパスをつなぐことに固執し、結果、湘南のプレッシングに屈した。試合翌日、小倉前監督は疲れた表情で報道陣に「そりゃ映像を何回も見直すよね。やろうとしている部分で選手ができていない。落とし込みが問題なのか……」と指導の難しさを吐露していた。

 自分に決定的に足りない現場での経験則については、ヨーロッパの指導者資格「UEFA PRO」を持ち、欧州では育成のプロフェッショナルとして名高いステンリー・ブラードヘッドコーチ兼スポーツダイレクターを参謀に置き、大学サッカー界で実績を残してきた高校時代の同級生である島岡健太コーチを腹心として補完しようとしたが、2名のコーチはともに育成を得意とする指導者であり、戦術的な改善に力を発揮できなかったことは小倉前監督としても誤算だったのではないか。

 その後のチームは、意識を強めたポゼッションについての特別な戦術やパターンを与えられることもなく、ただ盲目に「ボールをつなぐ」という意識だけを持って緩慢な攻撃を繰り返した。その結果が2ndステージ9試合で2得点という惨状だったことは言うまでもない。

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著者プロフィール

1979年生まれ。雑誌社勤務ののち、2015年よりフリーランスに。以来、有料ウェブマガジン『赤鯱新報』はじめ、名古屋グランパスの取材と愛知を中心とした東海地方のサッカー取材をライフワークとする日々。

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