小倉前監督の“失敗”はなぜ起こったか いばらの道となった新米指揮官の挑戦
新米指揮官ゆえの想定の甘さ
守備も修正できず、1stステージ第10節の横浜F・マリノス戦あたりを境に得点数が激減 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】
「ポジションに帰るんじゃなくて、危機察知能力じゃないけれど、そこから消していく。ファーストディフェンダーと、カバーリングの意識というのは言っているけれど、なかなか習慣として染みついたものを直すのは難しい」と小倉前監督は1stステージ第15節、ホームでのサガン鳥栖戦の後に語ったが、このボールホルダーにプレッシャーがかからない中盤での守備というのは結局、監督休養を迎えるまで修正できなかった。
選手たちはまるで金縛りにかかったように敵前で足を止め、「もともと、ものすごく強いというわけではない」(楢崎正剛)というディフェンスラインに相手の攻撃力の最大値をぶつけられて失点を重ねた。序盤戦の名古屋は失点は多いが得点もできるチームだったのだが、今もって今季最後のリーグ戦の勝利である1stステージ第10節の横浜F・マリノス戦あたりを境に得点数が激減。これはひとえにボールを奪う、跳ね返す位置が下がり、ビルドアップの位置が押し下げられたことにも原因がある。
前述の鳥栖戦後に小倉前監督は「より細分化、明確化が必要。選手の判断に委ねてきたところをもっと指し示す」とも語っており、基礎的なフォーメーション練習などを取り入れたが、これもあまり効果が得られずに、7月にはついに5バックの導入に踏み切らざるを得なくなった。この5バックとて、ただ枚数が増えただけに近いジャストアイデアな布陣で、枚数を削られた前線は数的不利の攻撃を繰り返し、長距離を走って守備に戻るという弊害まで生じてしまっていた。
こうしたことからも分かるように、今回の小倉前監督の“失敗”は新米指揮官ゆえの想定の甘さがその根底にある。そもそも当初、「5人目まで連動するサッカー」という大看板を掲げたが、それらしき練習メニューは見たことがない。正確に言えば、その前段階であるパススピードを上げる練習や、スペースでボールを受ける練習、ポゼッションやオフ・ザ・ボールの動きの感覚を養う練習と、サイドバックを高い位置で起点にする意識付けの練習はあった。しかし、それをいかにして運用するかの具体的な練習は目にしたことがなかった。
非公開練習は基本、相手の出方に対する練習を含む紅白戦が中心であり、特別なことはなかったと判断できる。小倉前監督に代わって就任したボスコ・ジュロヴスキー監督がわずか4日間の練習でチームをガラリと代えてみせたことを思えば、指導者としてのメソッドとチームを見極める眼力の差は明らか。監督交代後の初陣となった2ndステージ第10節のFC東京戦後、FWとして途中出場した矢野貴章が「選手が持っている力が今日は出た」と語ったのは、何とも皮肉なものだった。
ジュロヴスキー監督のもと、奇跡の残留へ
後任のボスコ・ジュロヴスキー監督は名古屋を建て直すことができるか 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】
サイドバックにコンバートされた磯村亮太がほぼぶっつけで臨んだFC東京戦で及第点以上の働きを見せ、練習ではインサイドハーフやボランチをやっていた和泉竜司がウイングで、ウイングでプレーしていた矢野がセンターFWで問題なくプレーしていたことも、役割と動きの明確さがあったからに他ならない。
和泉は「ウイングはやったことがなかったんですけれど、このポジションの永井さんや(川又)堅碁さんの動きを見て、あとは監督のジェスチャーを見て判断しました」と話せば、矢野も「事前には何も言われていなかったけれど、こういうことだろうとは思っていました」と意に介さなかった。それもすべて、個々の役割をハッキリさせるジュロヴスキー監督の方針が選手に余裕を与えたからである。土壇場で引き分けに持ち込まれたものの、残り7試合での奇跡の巻き返しに期待を持たせるだけの内容を、元マケドニア代表監督は実現してみせた。
18戦連続未勝利でいまだ降格圏から抜け出せない現状を作ったのは、選手とスタッフ、監督全員の責任ではある。しかし監督とは現場の最高責任者であり、結果、成績についての責任を真っ先に負う立場にもある。休養が決まり、小倉前監督は神妙な表情で「選手たちには申し訳ない。良いガイドができなかった」と率直に謝罪したという。
苦悩の日々は「何が何でもという気持ちがありましたし、選んでもらったからには頑張り切らないとという気持ちもありました」と自らを奮い立たせてチャレンジを止めなかった。そんな彼が残したものと言えば和泉の成長がある。新人ながら既に主力の1人として数えられる攻撃的MFは、小倉前監督の熱心な指導で自らのプレーをプロ仕様にアップデートできたと語る。「だから今後のプレーで小倉さんに応えていきたい」と語る次代のエース候補は、ほぼ唯一といっていい“小倉の遺産”だ。
キャリアデビューとしてはあまりにも大きな責任と厳しい戦いを経験した監督・小倉隆史は、自らの未熟さを思い知ったことだろう。「これを糧にできるようにやっていきたい」。奇跡の残留へ加速を始めたチームを見守りながら、そして願いながら、前代未聞のGM兼任新人監督は一度現場を退いた。彼が再起の道を歩むかどうかは分からないが、これだけの七転八倒した経験を次に生かさない手はないと、個人的には思う。