名将もびっくり!甲子園でコグマに成長 強豪を追い詰めた初出場のクラーク国際
佐々木監督、11安打に「驚き」
創部3年目で初出場を果たした北北海道代表・クラーク国際。甲子園常連校・聖光学院をあと一歩まで追い詰めた 【写真は共同】
初出場・クラーク国際高(北北海道)の佐々木啓司監督は、どこか満足そうだった。聖光学院高(福島)を相手に、7回終了時点で2点のリード。斎藤智也監督が「敗色濃厚」と感じるほど追い詰めた。だが、8回。先頭打者の四球、バント守備の乱れで招いたピンチに、好投していた平沢津虎揮が小泉徹平に逆転の三塁打を浴びる。3対5――初めての夏が終わった。
5月、兵庫の相生学院高を訪ねたとき。河上敬也監督がこう言っていたのを思い出す。
「3月にクラークさんが遠征に見えて、練習試合をやったんです。ウチが7対1で勝ったんですが、佐々木さん、“サインもろくに出していない、もう1試合やってくれ”って(笑)」
河上監督といえば、南北海道の北照高を率いて春夏通算8回甲子園に出場し2010、13年のセンバツでは8強入りした北海道の名指導者だ。佐々木監督とは、ライバルとしてしのぎを削った間柄で、今季からクラーク国際と同じ通信制の相生学院で指揮を執る。だが「野球用語さえろくに知らない」部員たちに、最初は戸惑ったという。失礼ながら、その相生学院に敗れたクラークが、創部3年目で甲子園初出場を果たすのだから、高校野球は面白い。
創部3年目、部員9人からのスタート
「校名にあるクラーク博士といえば、“少年よ 大志を抱け”。部員には、甲子園への大志を持ってもらいたい」
掲げたのは、3年目での甲子園出場である。だが、創部当初の練習場所は深川市内のラグビー場。いまも、拓殖大北海道短大のグラウンドを間借りする日々で、練習環境に恵まれているとは決していえない。14年春、最初の公式戦はコールド負けし、その年夏と秋は空知地区大会で1勝がやっとで、昨年は秋に挙げた1勝がすべて。相生学院に敗れるのも、まあ不思議ではなかったのだ。だが昨年冬、室内練習場の完成によって打力が徐々に向上すると、チーム力もついてくる。今春は、空知地区を勝ち抜いて北海道大会にまで進出した。
佐々木監督は言う。
「春、地区を勝ち抜けたのが大きい。投手中心に守備力が整備されて、しぶとく後半に得点するうちに、自信をつけたんでしょう」
1992年、広域通信制として開校した。通信制としては、夏の甲子園には初出場になる。だが34人の野球部員は、週5日通学する全日制コースで学び、練習は午後2時からだから、環境としては普通の高校とほぼ変わらない。たとえばセカンドの福田健悟のように、京都外大西高から編入してきたというのが通信制らしさか。
「すごい球場」先発・平沢津は笑顔
過去、駒大岩見沢時代にはヒグマ打線と呼ばれる強打線を作り上げてきた佐々木監督。クラーク国際もその強打の片りんを見せた 【写真は共同】
初回は平沢津の二塁打、安田世幸のタイムリーで先制し、3回は4番・安田がタイムリー。5回には7番・岸誠也の三塁打から追加点をあげ、「“ヒグマ”まではいかないけど、“コグマ”にはなったかな」(佐々木監督)。逆転された8回、一塁走者の平沢津がヒットの打球に当たらなければ、試合はまだわからなかった。
その平沢津は、笑顔でいう。
「打球が当たったときは”やっちまった”という感じ。でも、すごい球場でしたし、そこで打って投げた自分もすげえと思います」
やはり笑顔の阿部勇斗主将は、こうだ。
「夢は甲子園、とはいっても、壁を見たらあまりに高くてびっくりした。でも、毎日を真剣にやれば、確実にレベルアップすることを学んだ」
惜敗の初出場。だが、相手の聖光学院高も01年の初出場時には、初戦で0対20と大敗しているのだ。それがいまや、10年連続出場という常連中の常連に成長した。クラーク国際にも、そうなる可能性は十分にあるじゃないか。
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