武豊がこだわる米競馬への特別な思い ラニと共にケンタッキーダービー制覇へ
武豊、米国競馬参戦の歴史
現地時間5月7日に行われるケンタッキーダービーに挑む武豊とラニ 【Photo by Kazuhiro Kuramoto】
現地時間3月26日にドバイで行われたUAEダービーの優勝騎手インタビューでの武豊のコメントだ。世界各地で騎乗し、数々の勝利を挙げてきた同騎手。近年はフランスやイギリスでの騎乗が多いことからヨーロッパ競馬に浸透しているかに思われがちだが、武豊にとって米国競馬はヨーロッパとはまた違う特別の思いがあるという。
そもそも、武豊が初めて海外で騎乗した場所は米国だ。1989年8月31日、アーリントン競馬場で初騎乗(米国1戦目は7着)。続く9月2日の米国2戦目で早々と海外初勝利を挙げている。日本競馬界では空前のオグリキャップブームで、武豊はスーパークリーク、イナリワンといったオグリキャップのライバルに騎乗していた頃だ。
そこから2年後の91年には待望の海外初重賞勝利を決めたのだが、それも米国。サラトガ競馬場で行われたセネカ・ハンディキャップ(G3)で日本人騎手初となる海外重賞制覇を達成。この頃の米国競馬界は、若干22歳の若い日本人騎手に対して本場の米国で通用するはずがないと風当たりが強かったそうだ。
さらに時を重ねた2000年。すでに日本ではトップジョッキーの座に君臨し、海外での認知度も上がっていた武豊だが、この年は米国西海岸に拠点を移して本格的に米国競馬に参戦した経験もある。
生涯忘れることはできない興奮、21年の時を経て
その時の結果は、後の2冠馬・サンダーガルチの前に14着と惨敗。スキーキャプテンは渡米前に出走する予定だった毎日杯を直前の裂蹄により回避。3カ月ぶりの実戦が世界的な大レースとなってしまったのだから、どうにもならない。そんな事情があったとはいえ、武豊自身は悔しさと、夢の舞台での勝利への憧れの念をさらに強く抱いたことだろう。それから21年の時を経て再び大舞台へ立つチャンスが巡ってきたのだから、気合が入らない訳がない。
それもラニは日本調教馬ではあるが、バリバリの米国血統。父タピットは2014年の北米リーディングサイヤーであり、母父は日本の競馬界を席巻したあのケンタッキーダービー馬サンデーサイレンス。陣営がデビュー前から米国の競馬を意識していたと公言する通りの血筋だ。日本では5戦2勝の成績だったが、UAEダービーでついに素質が開花。UAEダービーは“ロード・トゥ・ザ・ケンタッキーダービー”(ケンタッキーダービーへ向かうまでのさまざまな前哨戦での着順をポイント制にし、合計ポイントが高いと優先的にケンタッキーダービーへ出走可能となるシステム)の中でも高ポイントが加算されるため、見事に出走がかなった。