Youは何を求めてJリーグへ? 外国人インターンを採用した国際部の狙い

宇都宮徹壱

元Jリーガーを父に持つセルビア人のドキさんの場合

元Jリーガーを父に持つドキさんは、セルビアと日本のサッカーの架け橋になりたいと語った 【宇都宮徹壱】

 セルビア人のドキさんは、日本とは切っても切れない縁がある。彼の父親、ゴラン・バシリエビッチさんは1991年のトヨタカップでレッドスター・ベオグラードのキャプテンとして来日。そして95年には、ジェフユナイテッド市原(現千葉)でプレーした。母親のミリツァさんは、ベオグラード大学日本語学科の教授で、日本での留学経験もある。元プロサッカー選手でJリーグでもプレーした父親と、日本語研究者の母親との間に生まれたのだから、Jリーグのインターンとなったのもある意味必然であった。

「初めて日本に来たのは95年のときで、僕はまだ5歳でした。2年くらい日本に住んで、いったんセルビアに戻ったんですが、そのあと小学生のときと日本の大学に留学するときに来日しました。でも、子供だったときの方が日本語はうまかったですね(笑)。昔はサッカーをやっていたのですが、今はもっぱら観る方が好きです」

 セルビアで暮らしていたときは、さすがにJリーグから遠のいてしまった。それでも、ドラガン・ムルジャやネイツ・ペチュニクといった元レッドスターのJリーガーがゴールを決めると、その映像がニュースで流れることがあったという。Jリーグのインターンを希望したのも「自分ならサッカーを通じて、セルビアと日本をつなぐ仕事ができるのではないか」という強い思いがあったからであった。

「子供の頃からサッカーに関わる仕事がしたいと思っていました。父が今、レッドスターのスポーツディレクターをやっているので、セルビアの指導者や選手、サッカー協会にも知り合いは多いです。そうしたコネクションを、日本サッカーにうまくフィードバックしていければいいなと」

 インターンになって1カ月足らずということで、今はまだ仕事を覚えるので精いっぱいと語るドキさん。それでも、JリーグのU−16チャレンジリーグを開催した際には海外のチームをアテンドしたり、セルビアの育成事情に関するレポートを提出してアカデミーチームと共有したりと、少しずつ自分の強みをアピールできるようになった。

「去年、セルビアがU−20のワールドカップ(W杯)で優勝しましたが、セルビアの育成システムを日本にぜひ伝えたいと思っています。また、U−20代表を育ててきたコーチングスタッフとも、すでにコンタクトをとっています。彼らが構築したメソッドを取り入れることで、日本はまたアジアのトップに立てるのではないでしょうか」

外国人インターンがJリーグにもたらしたもの

外国人インターンの経験は2人にとって、そしてJリーグにとっても良い刺激になった 【宇都宮徹壱】

 ところで、彼ら外国人インターンを受け入れたJリーグには、どういった意図があったのだろうか。そしてその結果、どのような効果があったのだろうか。「いろいろと良い刺激になっています」と語るのは、国際部の小山恵さんである。

「もともと海外戦略や国際戦略をやっていく中で、日本人的でない視点が必要ということもありましたし、Jリーグがオープンになっていくためには世界との窓口になっている私たち国際部が率先して何かをしなければという思いもありました。実際に彼らを受け入れて、国際部だけではなくさまざまな部署と業務を行うため、皆必然的に意識が外に向くようになったということですね。それからアニのマーケティング・リサーチにしても、ドキの育成レポートにしても、僕らの方が勉強になる機会も少なくありません。本当に、良い刺激を受けていますね」

 一方の外国人インターンの2人も、Jリーグでの経験をもとに、それぞれの夢がより明確になったようだ。現役インターンのドキさんは、エージェント会社を立ち上げることで、セルビアと日本のサッカーの架け橋になりたいと語る。

「僕はサッカー選手にはなれませんでしたが、こうして言葉を覚えて、両国のサッカー関係者とコネクションを作ることで、きっと良いブリッジになれると思います。これまでセルビアからは、ピクシー(ドラガン・ストイコビッチ)や父をはじめ、多くの選手がJリーグでプレーしましたが、セルビアでプレーした日本人のプロ選手って、鈴木隆行さんなどほんの数名ですよね。さらに多くの日本人選手を、セルビアに紹介したいです」

 すでにインターンを卒業したアニさんは、これまでの社会人経験も生かして壮大かつ具体的なビジョンを思い描いている。

「今は就活中なんですけれども、やりたい分野はスポーツかエネルギー関連の仕事です。もしスポーツの世界で働けたら、いずれインドのサッカーをトップレベルまで引き上げてW杯に導きたい。その前に、Jリーグをインドに紹介してビジネスがしたいですね。今後、インドと日本の経済協力が深まっていけば、当然サッカー界にもいろいろなチャンスがあると思っています」

 最後に2人に、それぞれが大切にしている日本語を教えてもらった。インド人のアニさんは「勝利」「頑張る」。セルビア人のドキさんは「一期一会(いちごいちえ)」であった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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