澤穂希が未来を切り拓いた伝説の一戦 「なでしこジャパン エピソードゼロ」

江橋よしのり

ギリギリの月が暗示する未来

引退会見で澤が「一番つらかった時」と話した04年の北朝鮮戦は、日本の女子サッカーにとっても重要な一戦だった 【Getty Images】

 あの夜、国立競技場の上空に細く、薄い月が架かっていた。まるで食べ終えたメロンの皮のように、全体の姿を頭の中で想像はできるけれど、味わうことはできない。月が私の胸をざわつかせた。ひょっとしたら、日本の女子サッカーの未来を示す暗示なのかもしれない――。このギリギリの月は、明日には闇に消えてしまうのか、それとも日ごとに光を浴びて輝きを増すのか。月の動きや満ち欠けは、中学理科で習ったはずだ。けれど恥ずかしながら、私にはその知識がなかった。胸騒ぎを抑えることができないまま、試合開始前の君が代を聴いた。

 現役引退を表明した12月17日の澤穂希が、記者会見で「一番つらかった時」と聞かれて挙げたのは、この当時のことだった。

 2004年4月24日。アテネ五輪行きを懸けたアジア予選の準決勝。相手は日本が13年間勝てていない北朝鮮だ。日本はこの試合に勝てば2大会ぶりに五輪出場を決める。しかし負ければ予選敗退。同時に日本の女子サッカーはすべてを失うかもしれないとさえ言われていた。前回のシドニー大会に続いて五輪出場を逃せば、クラブを運営する企業やスポンサーがさらに減ることが予想され、そうなると国内リーグの存続も危ぶまれる。選手たちにとってこの試合は、夢の舞台に続く大事な一戦であると同時に、この先もサッカー選手でいられるかどうかを決めるという意味で、文字どおり人生を懸けた一戦でもあった。

 国立競技場に詰め掛けた観客は3万人を超えていた。急きょ開放されたバックスタンド上段の席が、どんどん人で埋まっていく。当時の女子サッカーでは考えられない、空前の人手だ。詰め掛けた観客たちの中には、もちろん長年女子サッカーを励まし続けた人もいたはずだが、おそらく大半は初めて女子の試合を見る人だっただろう。それでもあの夜は、ピッチとスタンドにとてつもない一体感が存在した。観客の心理は「日本が勝つところを見たい」という娯楽的気分より「この人たちをなんとか勝たせてあげたい」と祈る思いのほうが強かった。3万人超の観客は、女子サッカーという消えかけたろうそくの小さな炎を守るために集まり、彼女たちを客席から包む巨大な手のひらになった。

調子が良くても悪くても、「その日の100%」を

澤は調子が良くても悪くても、「その日の100%」を常に見せ続けた 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 澤はすでにこの頃から、日本代表の大黒柱だった。しかしアジア予選が開幕してからの彼女は、傍目から見ても明らかなほど動きが悪い。われわれ報道陣は大会が終わってから知ることになるのだが、実はこの時、彼女の右ひざの半月板は大きく損傷していた。大会前の練習中、バランスを崩した体勢からパスを出した瞬間、澤は右ひざの悲鳴をはっきり自分の耳で聞いたという。でも、対戦相手に知られたくないとの思いから、けがのことは外部に一切漏らさなかった。ところが、運命の北朝鮮戦を迎えた朝、右ひざはついに限界に達した。痛みのあまり、ベッドから起き上がることができない。こんな状態で満足なプレーができないことは、医者に診せなくても分かる。澤は「みんなの足を引っ張るわけにはいかない」と、欠場を申し出ようと考えた。ところが、相談を受けたチームメートたちの答えは違った。

「立っているだけでもいい。あなたがピッチにいるだけで、私たちは力を得ることができるんだから」

 仲間たちの励ましを受け、澤は「今の自分にできることを100%やる」と心に決めた。「例えば練習でも、手を抜こうと思えば抜けるかもしれない。でも私はそういうのが嫌い」と、澤は引退会見でもきっぱり言った。調子が良くても悪くても、澤は「その日の100%」を徹底する。それを毎日、何十年間も続けて来た。本当にその言葉通りのサッカー人生だった。

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著者プロフィール

ライター、女子サッカー解説者、FIFA女子Players of the year投票ジャーナリスト。主な著作に『世界一のあきらめない心』(小学館)、『サッカーなら、どんな障がいも越えられる』(講談社)、『伝記 人見絹枝』(学研)、シリーズ小説『イナズマイレブン』『猫ピッチャー』(いずれも小学館)など。構成者として『佐々木則夫 なでしこ力』『澤穂希 夢をかなえる。』『安藤梢 KOZUEメソッド』も手がける。

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