澤穂希が未来を切り拓いた伝説の一戦 「なでしこジャパン エピソードゼロ」
澤が押し開いた扉と、それに続いた後輩たち
北朝鮮戦には右ひざをテーピングで固めて強行出場。渾身のタックルで世界への扉を押し開いた 【写真:川窪隆一/アフロスポーツ】
このプレーの持つ意味は大きい。体の強さは北朝鮮のほうが上、という事前の評価を吹き飛ばしたばかりか、過去何年勝っていないだとか、直接対決で何連敗中だとか、そういった数字もすべて、澤がたったワンプレーで吹き飛ばした。目の前に立ちはだかる重い扉を、満身創痍(そうい)の体で押し開く渾身のタックルが決まった瞬間、日本の女子サッカー界が7年後に到達する世界の頂点に続く扉も同時に開けたのかもしれない。控え選手としてベンチで戦況を見つめていた安藤梢は「あの澤さんのプレーを見た瞬間、ああ、やっぱり今日は私たちが勝つんだ」と確信したという。さらにこの夜、巨大な手のひらとなった観客の中には、大学生だった川澄奈穂美や高校生の鮫島彩の姿もあった。
「あの試合のことは覚えています。選手たちから、そして会場の雰囲気から、みんなの懸ける思いが伝わってきました」と、川澄は胸に焼き付けられた記憶を再生する。
「澤さんは大きなけがをしていたのだと、私も後から知りました。そんな状態ですから、言い訳をしようと思えばいくらでもできたと思うけれど、澤さんはそうじゃなかった。戦い抜く澤さんたちの姿を見て、私の心は震えていました」
いつか自分も日本代表になるんだという思いを、この夜、川澄はあらためて強くした。また鮫島は「当時の私は女子サッカーの未来なんて考えられるほど大人ではありませんでした。けれど国を懸けて戦う代表選手たちは、みんな本当にかっこよかったです。中でも澤さんは、雲の上の存在でした」と当時を思い出した。
安藤も川澄も鮫島も、あこがれの澤の背中を追いかけて、やがてチームの一員に加わって世界の頂点へとかけ抜けた。彼女たちが通った道も、澤が扉をこじ開けたからこそできた道だった。
日本女子サッカー界の未来を切り拓く
北朝鮮戦の勝利は澤穂希のサッカー人生と、日本女子サッカー界の未来を切り拓いた 【写真:ロイター/アフロ】
この日の勝利をきっかけとして、日本女子代表には「なでしこジャパン」という愛称が与えられるようになった。
運命の北朝鮮戦を終えた次の夜、空に張り付く月は、昨日よりも明るさを増していた。私は夜空を見上げながら、「いつになるかは分からないけれど、彼女たちが満月になる時を、記者としてしっかり伝えよう」と心に誓った。
2004年4月24日。澤穂希のサッカー人生と、日本女子サッカー界の未来を切り拓いた伝説の一戦は、「なでしこジャパン エピソードゼロ」として後世に語り継がれることだろう。澤穂希の渾身のタックルとともに。