再び迷走し始めたレアル・マドリー プレー哲学のないチームの“偽りの輝き”

喜び以上に、多くの問題を抱え込んだモウリーニョ時代

モウリーニョ時代を“過去の記憶”とするまでに、レアル・マドリーは大きな苦労を要した 【写真:ロイター/アフロ】

 喜び以上に、多くの問題を抱え込むことになったジョゼ・モウリーニョ時代(2010−13シーズン)を“過去の記憶”とするまでに、レアル・マドリーは大きな苦労を要した。バルセロナの支配下から抜け出すため、もしくは好戦的な言動によってライバルを煩わせるためにやって来たポルトガル人指揮官は、国王杯とリーガ・エスパニョーラ、そしてスペインスーパーカップというわずかなタイトルと地に落ちたクラブのイメージだけを残し、スペインの首都を後にした。

 ジョセップ・グアルディオラと故ティト・ビラノバの指導のもと、リオネル・メッシをオーケストラの指揮者としていた当時のバルセロナは、その魅力的なプレーの機能性を完璧に近いレベルにまで高めていく中で、世界中で支持者を増やしていった。対照的に、モウリーニョのレアル・マドリーはフットボール界の“悪役”としてのイメージを世界中に広めていった。

 多くの選手たちと対立関係を築き、チームを危機に追い込んだモウリーニョがクラブを去った後の2013−14シーズン、ようやくレアル・マドリーはカルロ・アンチェロッティのような監督にチームを託すことを決めた。温厚なイタリア人が第一に掲げた2つの目標は、選手たちとの関係を改善してクラブに平和をもたらすこと、そしてプレーの面ではボールポゼッションの質を高め、チーム全体を数メートル前に押し上げることだった。

アンチェロッティ時代にCL10冠を成し遂げたが……

アンチェロッティ時代には10度目のCL優勝も果たしたが、指揮官は2シーズンでクラブを去った 【写真:Maurizio Borsari/アフロ】

 アンチェロッティの指揮下でレアル・マドリーのプレーは次第に改善され、安定して結果を出せるようになり、BBCの愛称を授かったギャレス・ベイル、カリム・ベンゼマ、クリスティアーノ・ロナウドの3トップは止めようがない破壊力を発揮するようになった。

 そして、とうとうチームはチャンピオンズリーグ(CL)を制し、悲願の“デシマ”(10冠目)獲得を実現。翌シーズンにはクラブワールドカップ初優勝も果たした。だがその後にチームが不調に陥り、とりわけCL準決勝でユベントスに敗れたことで、アンチェロッティの時代はあっさりと幕を閉じた。

 アンチェロッティの後任に選ばれたラファ・ベニテスは、手堅い戦術家タイプの監督だ。彼は就任当初、既存のベースに戦術的なプラスアルファを加える意向を示した。アンチェロッティ時代に構築したプレースタイルに、ハードワークやサインプレー、強固な守備を加味する。彼の構想は、弱点のない無敵のチームが出来上がるような印象を与えた。

 だがリバプールやナポリで結果重視の守備的なチームを作ってきた指揮官の主張は、勝ち点を積み重ねながらも攻撃面で選手たちのポテンシャルを引き出せず、ファンを納得させるプレー内容を示すことができなかったために、シーズン序盤からすぐに疑問視されるようになる。

 時に、選手たちの本来の能力からはほど遠いレベルの不安定なパフォーマンスを繰り返すチームには、少しずつひび割れが生じはじめた。セルヒオ・ラモス、C・ロナウド、ベイルら中心選手とベニテスとの関係は希薄になり、最近ではハメス・ロドリゲスとの確執も話題になった。また、シーズンの折り返しを迎える前の時点で既に16人もの負傷者が続出していることは(しかもその多くが筋肉系の故障である)、何かがうまくいっていないことを表していた。

 今季のレアル・マドリーはボールポゼッションを通したゲーム支配に価値を見いだそうとせず、効率的に結果を出すことばかり重視したモウリーニョ時代のチームに逆戻りしつつある。多くのライバルを上回る圧倒的な戦力を擁しているため、単発で生じるチャンスを生かすだけでも結果を出すことはできる。だが多くの場合、そのような試合は今後に不安を残すプレー内容に終始している。

 不安定なパフォーマンス、アイデアが見えないプレー、そして毎試合のように変化する実験的なメンバー構成が繰り返される中でも、安泰と見られていたCLは問題なくグループリーグ首位通過を決めることができた。

1/2ページ

著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント