視覚障がい柔道のホープが見据える先 石橋元気、リオ・東京へ続く柔の道

荒木美晴/MA SPORTS

「柔道」から「視覚障がい者柔道」へ

視覚障がい者柔道で今後の活躍が期待されている19歳の石橋元気(右) 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

 夏季パラリンピックの正式競技である視覚障がい者柔道。試合は視力によって区分せず、体重別で行われる。「両者が互いに組んだ状態で審判が『はじめ』の合図をする」「試合中に両者が離れると審判の『まて』がかかり、畳の中央に戻る」「場外が近づくと審判が『場外、場外』と声を出して知らせる」といった特有のルールがある以外は基本的に健常者の柔道と同じ。そのため、健常者も視覚障がい者も一緒に稽古することが多い。

 19歳の柔道選手・石橋元気も、普段は母校の九州産業大付属九州産業高で健常者と稽古に励む。現在の両眼の視力は、昼間は0.3〜0.4で支障はないが、夜になるとほぼ見えなくなる。小学1年で視野が徐々に狭くなる「網膜色素変性症」と診断された。目の病気は進行性で、「このままかもしれないし、いつ失明するかも分からない」状態という。

 同じ頃、身体を鍛えようと両親の勧めで道場へ。「小さい頃は泣きながら道場に連れて行かれていた」が、いつしか柔道一直線。中学では73kg級、高校では81kg級の選手として柔道部で活躍し、仲間とともに心身を鍛えた。

 高校卒業後は、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師を育成する福岡高等視覚特別支援学校専攻科の理療科に入学した。そこで視覚障がい者柔道の世界を知ったという。そして昨年、彼の名は一躍知られることとなる。視覚障がい者として参加するのは2度目の大会となる「全日本視覚障害者柔道大会」の81kg級で、いきなり初優勝を飾ったのだ。

初めての国際大会で痛感したレベルの差

 日本一を決める国内最高峰の大会で鮮烈なデビューを果たした石橋は、この優勝で今年2月のIBSA(国際視覚障害者スポーツ協会)ワールドカップ(ハンガリー)、そして5月のIBSAワールドゲームズ(韓国)の日本代表となる。どちらも入賞は逃したが、当時18歳の若者の将来に、周囲からは大きな期待が寄せられた。

 だが、当の本人だけは失望の闇の中にいた。

「初めて国際大会に出てみて、外国選手のパワーと筋肉量が圧倒的に違うことを知りました。相手の懐にまったく入れなかった」

 81kg級とはいえ、石橋の当時の体重は77kgほど。世界の柔道を目の当たりにした石橋の頭に、帰国後にある思いがよぎっていた。

「海外を見据えるなら、階級を変更するべきではないか――」

 昨年、全日本で優勝した後に、地元の道場では仲間たちが国際大会を控える石橋の壮行会を開いてくれた。この時に感じた「応援に応えたい」という気持ちも、心を動かした。

 石橋が通う学校の教諭であり、柔道の指導も行う、井上五十八女子代表監督も「彼は立ち技を器用にこなすタイプ。寝技とパワーを身につければ、73kg級で世界に通用するのではないかと思いました」と、石橋の潜在能力に注目して背中を押したことを振り返る。

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著者プロフィール

1998年の長野パラリンピック観戦を機に、パラスポーツの取材を開始。より多くの人に魅力を伝えるべく、国内外の大会に足を運び、スポーツ雑誌やWebサイトに寄稿している。パラリンピックはシドニー大会から東京大会まで、夏季・冬季をあわせて11大会を取材。パラスポーツの報道を専門に行う一般社団法人MA SPORTSの代表を務める。

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