首位独走を支える2人の偉大なGK J2・J3漫遊記 大宮アルディージャ

宇都宮徹壱

33歳で下した移籍という決断

FC東京時代はサポーターから大いに愛されていた塩田。新たなチャレンジの場を求めて大宮に 【宇都宮徹壱】

 塩田仁史は、11シーズンにわたりFC東京でプレーし続け、多くのサポーターから愛されてきた選手である。それだけに大宮への移籍が決まったときの、サポーターの喪失感は計り知れないものがあった。それは在籍年数やパーソナリティーだけにとどまらない、彼自身の振幅の激しいキャリアも多分に影響していたはずだ。PK戦にまでもつれた、2年前の広島との天皇杯準決勝は、ある意味、FC東京における一世一代のクライマックスであった。

「正直、天皇杯は決勝まで行けると思っていました。だってPK戦で3−1になったら、普通そこで決まるじゃないですか(苦笑)。結局、西川に4人目と5人目を止められてしまって(編注:PK戦4−5で敗退)。やっぱりサッカーって難しいというか、『もっと勉強しろ!』と言われたような感じでしたね。本当に僕、ファイナルには縁がないんですよ。ナビスコも天皇杯も決勝の舞台には立てませんでしたし」

 浦和出身の加藤同様、塩田もまた日本代表GKの分厚い壁と戦い続けてきた。加入間もないころは、土肥洋一の背中を追い続け、プロ4年目の07年には正GKの座を手にしたものの、09年開幕前に壊死性虫垂炎と麻痺性腸閉塞を併発。難しい手術と長いリハビリを経て戻ってきたときには、20歳の権田修一がゴールマウスを守っていた。その後、ロンドン五輪予選で権田の不在が多かった11年を除き、塩田がリーグ戦でプレーする機会は極めて限られたものとなる。それでも、これまでのサッカー人生を悔いたことはない。

「今でも『あの病気がなかったら』ということは、考えないことはないです。でも、あの経験がなかったら、この年齡までやれていなかったかもしれない。あの悔しい想いと、再びサッカーができる幸せを感じられたことが、今のモチベーションにつながっているし、自分が納得できるサッカー人生を送りたいと思うようにもなりました」

 33歳で初めて移籍を決断したものの、まったく出番に恵まれないまま、またひとつ年齡を重ねた。加藤の加入を知った上での移籍だっただけに、ずっと試合に出られない現状には忸怩(じくじ)たる思いを抱いていることだろう。それでも、新たなチャレンジの場を与えてくれた大宮への感謝の気持ちは変わることはない。

「今のクラブから『J1にすぐに復帰して、さらに強くなりたいので力を貸してほしい』と声をかけられたときはうれしかったですね。そもそもこの年齡でオファーをもらえるとは思っていませんでしたから。もちろん今の状況には満足していません。でも、チームが強くなる、というストーリーの中で自分ができることをしていきたいですね」

GKコーチもうなる優れたグループ

大宮の初代正GKで今はコーチを務める白井(右)。今季のGKの充実ぶりを日々実感している 【宇都宮徹壱】

 共に前所属クラブでは苦節を味わい、実力も経験も申し分ない加藤と塩田。この2人の偉大なGKを常に間近で観察し続けているのがGKコーチの白井淳、49歳である。まずは白井に、それぞれの特長をどう見ているのか聞いてみた。

「加藤はまず、足元がうまいこと。シュートストップ、至近距離の反応など、反射神経にも優れています。塩田はプレーの正確性や駆け引きもさることながら、チームのことを第一に考えるタイプですね。それをポーズでなく、ごく自然にやっている。他の選手たちも塩田の指示をよく聞きますし、加藤にも良い影響を与えている。コーチングを含め、そういった『伝える』という要素は、GKに非常に重視される要素ですから」

 99年にJリーグに参入して以来、大宮の正GKの座は常に背番号1と21の選手が担ってきており、いずれも伝統と重みのあるナンバーである。そして正GKの源流を遡っていくと、初代1番の白井にたどり着く。以後、川島永嗣、荒谷弘樹、江角浩司、北野貴之と、その系譜は脈々と受け継がれていった。ここで白井は、クラブ黎明期の興味深いエピソードを披露してくれた。

「僕が大宮に来た時は、ピム・ファーベク監督体制の2年目で、足元のうまいリベロのようなGKを求めていたんですね。今では当たり前でしょうが、当時(99年)はポゼッションの練習にGKも参加していて、とても新鮮だったし、僕自身もやりやすかった。その時、コーチだったのが現監督の渋谷(洋樹)さん。だから渋谷さんのベースには、ピムさんの指導があったと思いますし、彼の考える理想のGK像というのも僕にはピンと来たんです」

 昨シーズンまで所属していた北野と江角は、いずれも「守備から入るタイプ」だったという。だが昨シーズン途中から監督に就任し、J2となった今季も引き続き指揮を執ることになった渋谷がGKに求めたのは「自ら仕掛けて、つないでいく」プレースタイルであったと白井は語る。

「当然、足元がうまくて、フィールドプレーヤーとコミュニケーションできる必要があった。その意味で、加藤は理想的だったわけですが、まさか塩田までウチに来てくれるとは思わなかったですね。今いる清水(慶記)や川田(修平)を含めて、これはすごいGKのグループになる。実際、GKコーチとしては、日々の成長度合いが実感できて面白いですよ」

 ピッチ上だけの現象を見れば、今のところ正GKは加藤であり、塩田は大宮でもベンチを温め続けている。だが、その塩田について加藤はこう語る。「ハーフタイムで(GKだけでなく)全体に的確なアドバイスをしてくれる。自分が(浦和で)ベンチにいたとき、それができていたかというと自信がない」と。そして白井もまた語る。「加藤だけでも、塩田だけでも、ここまでうまくはいかなかった」と。第29節終了時、J2最少の18失点で首位に立つ大宮。その強さを支えていたのは、背番号1の活躍と21の献身であった。

<この稿、了。文中敬称略>

(協力:Jリーグ)

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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