鎧坂、ほろ苦デビューの世界陸上 直面した世界との差、リオへ再模索を

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全く歯が立たなかった北京の夢舞台

後半7000メートル以降は「こんなに苦しかったっけ?」と厳しいレースとなった鎧坂 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

「もう本当に残念の一言というか、ふがいないというか……」

 開口一番、うつむき加減のまま鎧坂哲哉(旭化成)は力なくつぶやいた。「しっかり勝負していくこと」を目標に、自ら考えた練習メニューを積んで乗り込んだ、初めての世界選手権(中国・北京)。迎えた22日の男子1万メートル決勝は、28分25秒77の18位に沈んだ。世羅高、明治大、そして旭化成と駅伝の強豪を渡り歩いてきたエースがぶち当たった“世界”という大きな壁。ミックスゾーンに現れた鎧坂は、悲壮感を漂よわせながら、「力不足」と何度も繰り返した。

 レースは例年にないハイペースとなった。その中で鎧坂は、2000メートル過ぎに早々に遅れた村山謙太(旭化成)、設楽悠太(Honda)を尻目に、常に集団の中盤あたりに位置を取る。持ち味のダイナミックな走りで、落ち着いてレースを展開しているようにも見えた。しかし、4000メートルを過ぎてからだんだんと遅れ始め、5000メートルでは先頭から12秒差。その後はズルズルと後退し、後半7000メートル以降は「こんなに苦しかったっけ?」と思うほど疲弊していたという。最終的には、27分01秒13で大会2連覇を果たしたモハメド・ファラー (イギリス)に、1分30秒近い差をつけられ、表彰台はもちろん、入賞争いにも全く絡めなかった。

 鎧坂は今大会に並々ならぬ覚悟で臨んでいた。もともとトラック志向の選手だったが、昨年11月に今大会の参加標準記録(27分45秒00)を突破したのを契機に、自ら志願して駅伝やマラソン向けの練習から、スピード重視の練習に移行した。さまざまな練習法を取り入れ、体幹トレーニングにも力を入れた。その結果、ぶれの少ない走りができるようになり、6月の日本選手権では中盤から独走して初タイトル。日本代表入りを決めた直後には「今までいろいろやりたかったことがやっとできて、結果につながったのは本当によかった」と手応えを口にしていた。しかし、それでも全く歯が立たなかった北京の夢舞台。落胆するのも当然だろう。

“鎧坂流”の練習法で再び世界へ

世界の強豪たちの走りを体感した財産を糧に次のステップへ歩みを進めてほしい 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 このレースには、鎧坂が世界選手権を目指すきっかけになった選手も走っていた。世羅高時代のチームメート、ケニア代表のビダン・カロキである。現在は実業団のDeNAに所属する2学年下の後輩は、2012年ロンドン五輪、13年モスクワ世界選手権と2大会連続で入賞を果たしており、今大会でも4位に入った世界トップランナーだ。以前、世界選手権のイメージを聞かれた鎧坂は、カロキがモスクワで熱戦を繰り広げるのを見て「自分もここで戦ってみたい」と考えるようになったと明かしている。自分を発奮させてくれたケニアの友人と、同じ世界の舞台に立てることには、特別な感情もあったに違いない。

 カロキは表彰台こそ逃したものの、ファラーらと最後の1周まで競り合い、本人も「ハッピーです」と納得の4位。一方、かつて同じグラウンドで練習していた鎧坂は、同じ土俵にすら立てなかった。しかし同時に「あらためてカロキの強さを知りました。また本当に勝負ができるよう、自分も力をつけていきたい」と、2年前のように気持ちを奮い立たせるきっかけもくれた。

 ほろ苦デビューとなってしまった世界選手権。それでも、日本一をつかんだ自らの練習方法を世界で確認し、カロキら世界の強豪たちの走りを体感したことは、彼にとって大きな財産になった。

 これからは、来年のリオデジャネイロ五輪代表の座を懸けた勝負となる。「また新たなやり方であったり、新たな勝負の仕方を知っていかないといけない」と、次のステップへの模索をすでに始めている。今年、“鎧坂流”の練習法で世界への切符をつかんだ25歳は、その先で戦うための突破口もきっと見つけてくれるはずだ。

(取材・文:小野寺彩乃/スポーツナビ)
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