日本ハム・田中賢介、復帰1年目の決意 「他球団は考えなかった」古巣への恩義

週刊ベースボールONLINE

3年ぶりに日本ハムに復帰した田中。稲葉、金子誠が抜けたチームにとっても頼もしい存在だ 【写真=BBM】

 北海道日本ハムで4度のリーグ優勝を経験した田中賢介が米国から帰ってきた。ベテラン、経験豊かな選手が一気に抜け、大きく若返ったチームにとっては、喉から手が出るほど欲しかった存在だ。リーダーとしてはもちろん、昨季は3割打者が1人もいなかったチームで、その安定した打撃で多くの得点を生み出すだろう。大きな期待を背負うヒットメーカーの決意を聞いた。

元の体重で新シーズンへ

――3月3日の巨人戦は、久しぶりの札幌ドームでしたが、球場の雰囲気、ファンの声援などどうでしたか?

 温かい声援をもらえたので、すごくうれしかったです。ヒットも1本出てホッとしました。

――米国でプレーするのは、日本ハムとどのような違いがありましたか?

 チームによると思いますが、ほとんどがナイターで練習時間が短かったですね。家にいる時間が長かったです。

――空いた時間はどのように過ごしたのですか?

 シーズン中はほとんど試合なので休みに出かけたりすることはなかったです。食事に行く程度ですね。日本とそれほど大きく変わらない生活でした。

――日本に戻ってから体重を5キロ落としたと聞きました。

 はい。向こうに行ってから5キロ増やしたので、現在は日本にいたときと変わらないくらいに戻りました。

――それは米国に行ってから増やしたのですか?

 米国で1年間やってみて、必要だなと思って少し増やしたんです。でも、あまりうまくいかなかったので、戻しました。

――どこか重点的に鍛えたのですか?

 全体的に筋力をつけました。

――日本に戻って体重を戻したということは……。

 あまりしっくりこなかったですね。

――5キロ落としてもう1年米国でやってみたかったのではないですか?

 1年目は元の体重でやりましたからね。増やしたことを後悔しましたが、なかなか難しかったです。

修羅場をくぐった米国生活

メジャー昇格も果たしたが定着はならず。だが米国生活で成長した部分も大きい 【Getty Images】

――米国での2年間で最もプラスになったことは何ですか?

 日本を離れて、外国で生活できたことは、人生の中ですごく有意義な時間でした。

――英語もだいぶ話せるようになりましたか?

 いや、全然ですよ。もっと頑張りたかったですけど。でも、日本に帰ってきてからでも勉強は続けられます。いつかは話せるようになりたいです。

――ハーミッダ選手、レアード選手など外国人選手と話しているのですか?

 徐々に話そうかなと思ってます。

――米国にいたころと現在では、選手として置かれている状況にはどのような違いがありますか?

 米国にいるときは、いつどうなるか分からない状況が日々続いていて、その中で結果を出さなければいけない。度胸がついたというか、修羅場をくぐったというのかな。精神的には少し強くなった気がしますね。

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