球界再編が生んだ思わぬ“副産物” 63歳の新人監督は元近鉄のブルペン捕手
04年の球界再編時、近鉄に所属し、その後、楽天のフロント入りした経歴を持つ石山から、日本球界の変化に影響を受ける韓国野球の姿が見える 【ストライク・ゾーン】
04年の意味と、今後のプロ野球を考える連載の第2回目は、石山にスポットを当てる。
近鉄→楽天と渡り、韓国プロ野球の監督へ
昨年11月、斗山から監督就任要請を受けた石山は、驚きを隠そうとしなかった。石山の現役時代は近鉄の控え捕手。33歳の時、韓国に渡り3年間プレーした。当時の韓国はレベルアップのため日本球界経験者が求められたリーグ創設3年目。韓国に縁故があれば、有する国籍に関わらず在籍が可能だったおおらかな時代だった。
日本に戻ってからは近鉄でブルペン捕手、ブルペンコーチ、バッテリーコーチを歴任。近鉄解散後は、楽天でプロ担当スカウトに転身し、12年まで同職を務めた。13年、斗山の2軍監督に招かれ、今季からは1軍の監督だ。石山は自身の野球人生をこう振り返る。
「どちらかというと下積みの方が長かった」
その石山がなぜ監督になったのか? 斗山の金泰龍団長(日本における球団GM)はこう話す。
「捕手出身ならではの視点と豊富な経験があったからです」
斗山球団は監督選任に際し、石山の他に4人の候補と面談を実施した。内部人事として行われた監督選考は、再編問題以降に日本で進んだ、フロント主導の球団運営を模した形だった。石山は自分が監督に選ばれた理由を冷静にこう見ている。
「球団にとってリスクが低い選択だったんでしょう」
球団が求めた「低リスク・好選手」に合致した鉄平
「楽天1年目の仕事は、コストのかからない、年俸が安くて良い選手を探すことでした」
再編問題によって、多くの球団が年間10億円規模の赤字を抱えていることが明らかになり、球界は健全経営への転換期を迎えていた。
2軍戦に通い、「お値打ち」な選手を探した石山。そこで目をつけたのがウエスタンリーグで打率3割3分6厘(05年、リーグ3位)をマークした、中日の土谷鉄平(のちの登録名は鉄平、現・オリックス)だった。「しっかりとした打撃技術を持っていたので、いけると思いました。中日での年俸は900万円でしたが、“やる気を出させるために100万円アップの1千万円でとってやってください”と球団に頼みましたよ」(石山)。金銭トレードで楽天入りした鉄平は、移籍1年目にレギュラーをつかみ、打率3割3厘を記録。09年には3割2分7厘でパ・リーグ首位打者を獲得した。
石山は鉄平の成功について、「自分のスタイルを曲げない頑固な選手。野村(克也)監督の下で“好きなようにやれ”と言われたのが合ったんでしょう」と話す。鉄平の加入は発足1年目に97敗(38勝)し、即戦力を必要とした2年目のチーム状況に適した戦略だった。